東京・神田で400年 歴史を紡ぐ『豊島屋本店』の伝統とイノベーション ~100年企業の経営者インタビュー~

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豊島屋本店の行動指針は、「不易流行」。
「不易」とは変わらないこと。品質や信用、職人気質などを守ることです。「流行」とは変わること。つまり時代の空気を取り込んで変化していきます。それらを調和できるバランス感覚が必要であるということです。
この考え方に基づき、のれんを守る16代目・吉村俊之社長に話を伺いました。

不易流行~伝統とイノベーション

豊島屋は、徳川家康公の時代に、酒とつまみを販売する居酒屋の原型として始まりました。

初代十右衛門が考案した白酒は江戸時代から評判となり、買い求める客が長蛇の列をなしたと、江戸時代のガイドブック『江戸名所図会』に記されています。江戸時代に「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われ、豊島屋の名は広く知られていました。白酒は、今でも年に1回、昔ながらの製法で作り続けられています。
明治時代、現社長の曽祖父・吉村政次郎氏が、卸や小売りだけでなく、オリジナルの酒を造ろうと、酒蔵(豊島屋酒造)を建てました。

そんな歴史と伝統に裏打ちされたのれんを守るのは、16代当主・吉村俊之社長です。なんとご本人は下戸ですが、日本酒があまり売れない夏向けに発泡タイプの日本酒を開発するなどのアイデアマンでもあります。

「こちらは女性客を意識した『綾(あや)』というお酒です。最初は1合(180ml)のミニサイズのみでしたが、のちに500mlの大きいサイズも作りました。また、『クリスマスなどのお祝いに使いたい』という要望を多数いただくようになり、冬向けのものも作りました。
発酵は、シャンパーニュと同じように瓶の中で行います。一般的に、発泡するお酒は度数が低くて甘いものが多いのですが、『綾』はアルコール度数が14%と高めで辛口のため、さまざまな料理に合わせやすいという特長があります。
パリの三ツ星シェフのアラン・デュカスさんのレストランのイベントで採用されたり、東京都がパリでイベントをされたときの乾杯酒になったりするなど、ご好評をいただいております。」

日本酒ブームを受け、海外向けに開発した日本酒もあります。

ミニ樽入りの『純米大吟醸 羽田 樽』や、手作り着物お酒カバー付きの『金婚 純米吟醸 和想』等です。
ゲストにも喜ばれる、純日本風の華やかなパッケージデザインが施されています。

そのほか、東京産の米・水・たいへん珍しい江戸酵母で造った『江戸酒王子』、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫氏に題字を書いてもらった『豊島屋十右衛門』などもあり、どれも個性が際立つ商品ばかりです。

明治神宮の御神酒をお納めする家に生まれて

明治神宮に奉献される酒は数多くありますが、神事の御神酒として使われるのは豊島屋本店の『金婚』だけというのをご存じでしょうか。

「小さいころは、祖父に連れられて明治神宮の元旦に行なわれる歳旦祭(さいたんさい)に行っていました。早朝6時ぐらいは、まだあたりは真っ暗。だんだん夜が明けてくると清々しく、厳かな雰囲気が満ちてきます。
崇敬会の方々と内拝殿で儀式に参加し、終わると直会(なおらい)です。うちのお酒『金婚』で乾杯してからお雑煮とおせちをいただくのですが、やはりこのことについては子供心にも『誇らしいな』とは思っていました。ですが、家業を継ぐ気持ちは強くありませんでした。」

と、吉村社長は懐かしそうに思い出を振り返ります。

吉村社長は大学では物理学を専攻し、大学院修了後は日立製作所に入社。同社中央研究所で半導体の基礎研究に携わりました。その間に、博士号も取得しました。

家業を継ごうと方向転換を決心したのは、41歳のときのこと。
興味深いのは、社長の父親も化学者からの転身、祖父も銀行員からの転身であるという点です。
家業のある家に生まれたとはいえ、一度別の世界を見ることは無駄ではなく、学びも多いはずです。

「メリットとしては、客観的に家業を見ることができ、新しい提案ができることです。例えば、商品開発においては研究者マインドが役立っていると思います。『綾』を開発するときは、現場の蔵人と何十種類もサンプルを作りました。創業者名を冠したこだわりの日本酒『純米無濾過原酒 十右衛門』にしても、さまざまな酵母を試しては失敗し、原因と結果を追求し次に活かそうという思考ができます。とはいえ、遅いスタートとなったので知識不足は痛感します。人一倍勉強して追いつかないといけません」

実は吉村社長には、日立製作所退職後、アメリカ系のコンサルティング会社に勤め、経営を学んだ過去があります。

「睡眠2時間ぐらいのときもありました」と言う通り、意外と苦労人であり、努力を惜しまないタイプ。その結果、ディシジョンメイクの速さなど、アメリカならではのよいところを取り入れつつも、「基本は人だ」という境地に至ったといいます。

「人を大事にする。長期的な視点で決断する」という日本的な良さは、吉村社長が大事にしているところです。

日本酒の未来は女性客と海外顧客獲得にあり

現在、日本酒の国内消費量は、ピークだった1970年半ばと比べると3分の1ほどにも落ち込んでいます。
ビールやワインなどのライバルに押されていることもありますが、やはり若い世代が酒を飲まなくなった影響が大きいといえます。
今後、どのように挽回し、マーケットを広げるのでしょうか。今後の戦略について伺いました。

「やはり、新しいお客様を開拓しなければなりません。そのため、若い方、特に女性に日本酒に興味を持っていただきたいと考えています。『綾』などの親しみやすいお酒がきっかけとなり、『日本酒はおいしいな』と思っていただき、次なるお酒に興味を持っていただきたいですね。少子高齢化とはいえ、今まで日本酒に興味を持たなかった層に訴求していきたいです。もう一つの課題は、海外の方に日本酒を楽しんでいただくことです。」

日本酒の輸出については、減りゆく国内消費とは逆に、年率10~20%ほど伸びています。

「日本酒の最大の輸出先はアメリカで、香港、中国、韓国、台湾などにも輸出されています。これらの国で日本酒の人気は上昇中で、昨年1年間で、日本酒の輸出額は220億円を超えました。弊社も、アメリカ、韓国、シンガポール、ベトナムなどに日本酒を輸出しております。」

とはいえ、フランスから輸出されるワインは約1兆円といわれ、日本酒にはまだ伸びしろがあるということでしょう。さまざまな打ち手を考えるべきときですが、吉村社長の狙いはどのようなものなのでしょう。

「日本酒は日本文化の一端だと思っていますので、商品単体ではなく日本文化も含めてお伝えしていきたいと考えております。また、現地の食と相性が良いと伝えることも必要です。魅力的な商品、飲むシーンなど、こちらから提案できることはまだまだございます。」

江戸の昔から、進取の気性で常にチャレンジを続けてきた豊島屋本店。
「お客様第一、信用第一」の口伝の家訓を守りつつ進む先にはどんな未来があるのでしょうか。日本酒を通して日本文化の魅力を発信し続ける豊島屋本店から、これからも目が離せません。

お話を聞いた方

吉村俊之 様

株式会社豊島屋本店 代表取締役社長

1959年生まれ。日立製作所に入社し、同社中央研究所にて、半導体関連の基礎研究に従事。コンサルティング会社を経て、2001年に豊島屋本店入社。研究者スピリットで新商品開発を手掛ける。

株式会社豊島屋本店
千代田区神田猿楽町1-5-1
03-3293-9111
営:10:00〜17:00
休:土(不定)・日曜・祝日
https://www.toshimaya.co.jp/
慶長元年(1596年)創業。初代が酒屋兼居酒屋をはじめ、居酒屋の始祖ともいわれる。明治天皇・皇后の銀婚式をお祝いするために造られた『金婚』が有名。最近では『十右衛門』やスパークリングの『綾』なども人気。本社1階の売店などで購入可能。

商品紹介
『江戸酒王子(えどさけおうじ)』は、東京産の米と、昔から伝わる江戸酵母で醸した「オール東京の日本酒」。もちろん、水も酒蔵のある東京都東村山市の地下井戸から汲み上げたものを使用しています。爽やかな甘酸っぱい味わいが魅力の純米吟醸酒です。

著者

株式会社ボルテックス 100年企業戦略研究所

1社でも多くの100年企業を創出するために。
ボルテックスのシンクタンク『100年企業戦略研究所』は、長寿企業の事業継続性に関する調査・分析をはじめ、「東京」の強みやその将来性について独自の研究を続けています。

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