「変わり続けること」が 組織の未来を切り開いた

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本記事では、2020年9月15日開催のシンポジウム「THE EXPO 百年の計」 に登壇いただいた、経営者・経営学者の方のお話しをさらに深堀りします。
今回は、株式会社にんべん 13代当主、代表取締役社長 髙津 伊兵衛氏にうかがいます。

危機を乗り越えるとき、商いのイノベーションが生まれた

およそ320年前、江戸・日本橋で産声をあげた鰹節の店。それがにんべんだ。江戸から明治、大正、昭和、さらに平成、令和と時代が大きく変化していく中、たくさんの危機を乗り越えてきた長寿企業である。なぜ300年以上も存続できたのか。会社が危機に直面したとき、どのような手を打ってきたのか。にんべん13代当主である髙津伊兵衛社長は、「時代に合わせて商いの手法や事業を変えてきたからでしょう」と話す。

にんべんが商いを始めた江戸中期、商いのスタイルは、特定の客先に商品を納め、代金の回収は盆正月という「掛け売り」が主流だった。商品の値段は顧客ごとに決められ、定価はなかった。一見、手堅い商いのように見えるが、実は貸し倒れの危険が常に付きまとっていたという。
「そこで開始したのが『現金掛け値なし』という商いのスタイル。商品を手渡すときに現金をいただく、いわば小売りです。三越の前身である三井越後屋呉服店が始めた商いの手法なのですが、初代の髙津伊兵衛は、これを鰹節の商いにも取り入れたのです」

江戸で評判となったにんべんの鰹節は、名だたる大名家にも納められるようになった。ところが2代目の時代、武家の大口顧客を失うという危機に見舞われた。このときに店存続のカギとなったのも「現金掛け値なし」の商い。これによって、広く町民にまで販路を拡大していたからこそ、商いを続けられたと髙津社長は話す。

「商品券」によってキャッシュフローを大幅改善

時代は流れ、6代目がトップに就任したとき、にんべんは「商品券」を導入する。これも「現金掛け値なし」と同様、別の商店が始めたものだが、本格的に商品券を流通させたのはにんべんだとされている。
「商品券によって、にんべんのキャッシュフローは劇的に改善しました。商品をお渡しする前に料金をいただくことができるので、資金繰りがよくなったのです」

しかし、商品券を始めた当初は問題もあった。当時の商品券は銀製で、小判のような価値があった。その反面、銀を使うため原価が高く、型を起こしてから制作するのに非常に手間と時間がかかっていた。そのコストを考えると、むしろ赤字だったのではないかと髙津社長は言う。

これを克服するために開発したのが「紙の商品券」だ。紙なら低コストで発行でき、保管も扱いも簡単だ。これによって、商品券は江戸の街に大量に普及し、にんべんの商いの拡大を支えたという。

銀製商品券と紙製商品券

「血」よりも「店」を優先する社風

このように、商いが危機に直面したとき、商売手法を転換することで、逆に業績を伸ばしてきたにんべん。一方で、髙津家の血筋が代々後継者となる文化は転換しなかったのだろうか?
「にんべんは、当主に就任した者が『髙津伊兵衛』の名を継ぐため、同族経営のように思われますが、紙の商品券を発行した6代目は、実は髙津家の実子ではなく、養子です。直系である5代目が若くして急逝し、9歳の息子に後を継がせるわけにはいかなかったので、店の番頭と髙津家が相談し、親戚筋の娘婿となっていた元奉公人に白羽の矢を立てたのです」

やむを得ない事情だったとはいえ、このとき直系の代表にこだわらなかったのは、家より店を存続することを優先したから、と髙津社長。この考え方は脈々と受け継がれ、現在の社風になっていると話す。髙津社長自身、学生時代に後継の話が出たとき、先代社長からこう言われたという。「後を継がないなら、家から出て行きなさい」。

手法は変えても「実直、誠実」という姿勢は変えなかった

13代を継ぐと決め、入社した直後から、髙津社長は静岡県の焼津にある鰹節の自社工場に入り、ものづくりを実体験として学んだ。そのあと販売・営業の仕事を経験し、総務、副社長を経て社長に就任。このプロセスを考えたのは先代社長で、まず現場で「良いものを見分ける」目を養ってから、さまざまな部署を経験させるという意図があったようだ。

「先代は、自分の考え方を雄弁に語る人ではありませんでしたが、背中で経営姿勢を見せてくれました。なかでも私が強く感じていたのは、『実直、誠実』という姿勢。生産者や社員を大切に考え、自ら工場を回っているような人でした。実家にはいつも相談に訪れた取引先や社員がいるくらい、トップと周囲の人との距離は近かったと思います」

そんな先代が口癖のように言っていたのが「商いは飽きてはいけない」という言葉。つまり、ずっとやり続けることが大事だということだ。どんなに手法が変わろうとも、実直、誠実、続けるという哲学だけは、代を越えて受け継がれたといえる。

変革を成し遂げるのは、トップの「意志」と「行動」

バブル崩壊を機に、お中元やお歳暮といった贈答需要が一気に減り、にんべんの売上が大きく落ち込んだことがある。このときも、「贈り物」から「家庭でのふだん使い」へと視点を移して商品を展開したことが、危機を乗り切る要因になったと髙津社長は話す。以前は百貨店がメインの販路だったが、これを機に、スーパーが取引先のメインになったという。

長きにわたり、鰹節を事業の中心に据えてきたにんべん。しかし、鰹は自然界のもの。獲れなくなる、あるいは漁獲規制がかかる時代がいつやってくるともしれない。そうなったときに何を事業の中心にするか。これについて髙津社長は、鰹節がもたらしてきた「うま味」を軸に、さまざまな商品を展開していくことになるだろうと語る。

「だしとスパイスを融合したメニュー専用調味料や、だしを使った料理・惣菜の販売など、既に新たな試みを始めています」

なかでも特徴的なのは、だしを有料で飲んでもらう「日本橋だし場(NIHONBASHI DASHI BAR)」の出店だ。それまでは「だしは無料サンプルとして飲んでもらうもの」という観念があったため、この試みは非常に画期的だった。

「だしでお金をとっていいの?という声が出るなど、社内では賛否両論が飛び交いました。鰹節を商品として売ってきた人間が、鰹節から生まれているとはいえ、今まで無料サンプルとして提供していたものを商品にして売るわけですから、社員にとってかなりの方向転換だったのでしょう。しかし私は、『わざわざ鰹節を削り、だしを引いて提供することに価値がある』と言って社員を説得しました」

髙津社長は言う。結局、何かを変化させるときに組織を説得するポイントとなるのは、トップとしての「意志」と「行動」を明確に示すことなのだと。やるぞ!という意気込みを見せ、新事業に必要な投資をしっかり行っていく。それを実践することが肝要だと力を込める。

日本橋だし場(NIHONBASHI DASHI BAR)では日本型食生活(鰹節から始める健康生活)を提案

「ライフサイクルの乗り換え」が生き残りのカギとなる

既存事業で利益を伸ばしながら、新たな事業を模索する「両利きの経営」。100年企業に必要な要素だと言われているが、これについて髙津社長は、「確かに重要ですが、それが絶対条件ではないと思います。すべてのものにはライフサイクルがあり、ひとつのライフサイクルが終わる前に新たなライフサイクルに乗り換える。それが生き残りのカギではないでしょうか」と話す。

にんべんの歴史はこれからも続いていくが、いま、「次なるトップを誰にするか」というテーマが浮上している。
「私には高校生の息子がおり、にんべんのことを少なからず意識しているようです。しかし、彼が後を継ぐとは決まっていません。現在、社内で次世代教育を行っており、社員から数名を選りすぐって幹部候補に育てる取り組みをしています。息子がノーと言えば、ほかの方にトップをやってもらうまでですが、私としては、息子に『後を継ぎたい』と言ってもらえるような会社にしたいと思っています」

お話を聞いた方

髙津 伊兵衛氏

株式会社にんべん 13代当主、代表取締役社長

1970年生まれ。江戸時代より続く鰹節を商う家の長男として生まれる。93年青山学院大学を卒業後、高島屋に入社、横浜店勤務。96年にんべんに入社し、2009年代表取締役社長に就任、現在に至る。10年、だしコミュニティとして「日本橋だし場」をオープン。14年、だしの新たな可能性を楽しめるレストラン「日本橋だし場 はなれ」をオープン。鰹節やだしの可能性と新しい使い方を提案する事業展開を図る。20年2月、13代髙津伊兵衛を襲名。07年から日本橋室町二丁目町会長を11年間務め現在は副会長。日本鰹節協会会長理事、全国削節工業協会副会長、日本料理アカデミー正会員。 主著に『創業320年の鰹節専門店 「だし」再発見のブランド戦略』(PHP研究所)。

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