都市と五輪-第1回 東京五輪2020への都市改造Ⅰ

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都市政策の第一人者であり、明治大学名誉教授の市川 宏雄氏が執筆したコラムを定期的に掲載していきます。日本国内における「東京」の位置づけと役割、世界の主要都市との比較など、さまざまな角度から東京の魅力を発信していきます。
「都市と五輪」をコラム全体のメインテーマとしてとらえ、各回にてサブテーマを設定しています。全10回にわたりお届けします。

今回は“都市と五輪”ということで、昨年8月の第18回アジア競技大会(ジャカルタ・パレンバン)も終わり、あと10カ月ほどでいよいよ東京オリンピックが行われます。では一体、これが都市にとってどんな意味があるのか。かなり大きな意味があるわけですが、これについてお話したいと思います。まず冒頭に、いろんなポイントがありますけれども、五輪を行うことによって都市がどう変わるか、これは主に「都市開発」のことを言っていますが、その話をしたいと思います。

まず我々が知っているのは、いまからもう50年以上前、1964年の東京オリンピックです。これは、いわばいろいろな意味でエポックメイキングなときでして、戦後日本の復興と軌を一にした時期で、そのとき東京を中心に日本が変わったわけです。およそオリンピックには開催される時代背景があって、このとき何がポイントだったかと言いますと、1945年が終戦ですから、まだ20年しか経っていない中で開催されることになったこと。そして、これが決定したのが1959年のミュンヘンでのIOC会議においてで、当初はもう1回前を狙っていたわけですが、ローマに負けてしまって1960年ローマ大会後の64年になったのが、東京だったということです。

このとき東京が最も気にしたのは何かというと、ちょうど時代が60年代に入って、モータリゼーション(自動車の大衆化)が非常に進んでいたことです。そのなかで東京の都市構造はそれに必ずしも対応できていませんでした。有名な『戦災復興』、これがうまく行っておらず、道路体系がうまくできていない状況だったわけです。そもそもオリンピックというのは、それに合わせて、“できないことをやる”というのが世界の常識ですから、国にとって何が重要か、都市にとって何が重要かということですが、このときもちろん国と東京は一体的に動いていて、まず目指したことは「交通機関・道路等のインフラ整備」でした。
そのなかで最も有名なのが、実は東京オリンピックとはあまり関係がないのですが、東海道新幹線がこのとき開通します。そして、10月の第二月曜日というのが現在「体育の日」になっていますが、当初に制定されたのは10月10日でありました。これは実は1964年オリンピック開催式の日ですけれども、そのちょうど10日前の10月1日に、東京と大阪、当時は新大阪でしたので、東京と新大阪が初めてつながります。ですから、あの有名な新幹線はオリンピックに合わせて造られました。また東京のなかでは、東京モノレールが繋がります。それから当然、羽田空港の増築・滑走路拡張が行われます。実は羽田空港は戦後すぐアメリカ軍に接収されていましたから、日本に帰ってくるタイミングが遅かったわけです。それに合わせてこれも変えていきます。

また有名なのが首都高速で、首都高速道路を造ります。それから青山通りの拡幅整備をしました。さらには環状7号線、それから六本木通りも然り、拡幅工事を行います。要するに、いま東京の中心になっている、いわゆるターミナルでない所の中心は青山・六本木等ですけれども、これらはオリンピックが無かったらこうなっていませんでした。以上がまずインフラ関係です。
このときもう一つ重要なことが、戦後初めての国際化が行われたことです。当時出来上がったホテルには、ホテルオークラ、ニューオオタニ、ヒルトン、プリンス、あと有名な表参道にあるコーポオリンピアなどがあります。要するに本当に欧米型の施設が建設され始めます。これは別に東京や日本に限ったことではありませんが、各国とも次のステージに向かう時に、こういうイベントがあるとガラっと変わるわけです。これを東京もすることができた、ということがポイントです。
そして、東海道新幹線のほかに新しい産業もできました。まずは今とても有名な会社である「セコム株式会社」。当時はまだ社員が2人程だった会社です。それでもオリンピックの警備がとても間に合わないということで、警備を請け負います。大幅に社員を増やしたわけです。このとき初めてガードマンが認知され、いわゆるガードマンサービス業ができました。そしてこれが時代の潮流になっていきます。

それとあまり知られていませんが、トイレに行くと、男マークや女マークとか、それから避難出口のマークとか、これらは世界的に使われていますが、全部この東京オリンピックのときに日本で初めて使用したものです。これが世界に広がりました。要するに英語が通じないので絵や記号でやろうということで、「ピクトグラム」、これができたわけです。
あと一つだけ紹介すると、オリンピックの水泳では、今では当たり前ですけれども、選手がパッとタッチした瞬間にタイムが表示されます。あれは東京オリンピックの時に、IBM社が開発したもので、世界で初めてそれを使用しました。また、それまでオリンピックではオメガ社がオフィシャルタイマー(公式時計)だったわけですが、これをセイコーが奪い取って、このときセイコーが計時を行い、そのブランドが広く認知されてその後非常に飛躍することになりました。(※今回の2020東京オリンピックの公式時計の担当はオメガ社です。)そのほか、様々なことがオリンピックを契機に変わるわけです。

これに関連して、ごみの収集ですが、それまではゴミというのは道路の一角にゴミ捨て場があってそこにみんな置いていました。このとき初めてきちんと各戸別にモノ入れに入れることが始まり、このタイミングで積水がポリバケツを販売したわけですが、積水のポリバケツが爆発的に売れて、ゴミを必ず入れなさいとなりました。このように色々なことが起きます。これは東京だけでなく、世界共通の事象ですけれども、オリンピックを契機にガラっと変わるということがあるわけです。少なくとも前回の東京オリンピックではそうでした。

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著者

市川 宏雄いちかわ ひろお

明治大学名誉教授
帝京大学特任教授
一般社団法人 大都市政策研究機構・理事長
特定非営利活動法人 日本危機管理士機構・理事長

東京の本郷に1947年に生まれ育つ。都立小石川高校、早稲田大学理工学部建築学科、同大学院修士課程、博士課程(都市計画)を経て、カナダ政府留学生として、カナダ都市計画の権威であるウォータールー大学大学院博士課程(都市地域計画)を修了(Ph.D.)。一級建築士でもある。
ODAのシンクタンク(財)国際開発センターなどを経て、富士総合研究所(現、みずほリサーチ&テクノロジー)主席研究員の後、1997年に明治大学政治経済学部教授(都市政策)。都市工学出身でありながら、政治学科で都市政策の講座を担当するという、日本では数少ない学際分野の実践者。2004年から明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科長、ならびにこの間に明治大学専門職大学院長、明治大学危機管理研究センター所長を歴任。
現在は、日本危機管理防災学会・会長、日本テレワーク学会・会長、大都市政策研究機構・理事長、日本危機管理士機構・理事長、森記念財団都市戦略研究所・業務理事、町田市・未来づくり研究所長、Steering Board Member of Future of Urban Development and Services Committee, World Economic Forum(ダボス会議)in Switzerlandなど、要職多数。
専門とする政策テーマ: 大都市政策(都心、都市圏)、次世代構想、災害と危機管理、世界都市ランキング、テレワーク、PFI
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