町工場の経営者が国を動かす理由~地域創生はもちろん、高い視点で大義を持ち続け、後悔しない道を選ぶ~

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32歳で意図せずに社長業を継いだ、ダイヤ精機の2代目社長、諏訪貴子氏。試行錯誤しながらも従業員の意識改革・業務改革を推進して、見事に経営を立て直しました。自社を基盤にしながら大田区の町工場と手を取り合って地域創生に取り組むだけでなく、より高い視点から日本のものづくりの再生に尽力している諏訪氏にお話を伺いました。

いつも後悔しない道を進みたい

4,000を超える製造事業所が集結する東京都大田区。「ものづくりの街」の代名詞ともいえる大田区において、中小企業活性化のモデル事例として注目されているのが自動車部品の精度を保証するための計測ゲージや製造ラインで使用される工具を手がけるダイヤ精機です。

経営の指揮を執るのは諏訪貴子氏。2004年に創業者である父親の諏訪保雄氏の急逝にともない、32歳で社長に就任しました。

「実は、過去に2回ダイヤ精機に入社しましたが、両方とも父と意見が合わずリストラされています(笑)。加えて父が亡くなったときは専業主婦でしたし、経営の勉強をしたこともない。後を継ぐかどうか、ずいぶんと悩みましたが、最終的には後悔しない道を進みたいと覚悟を決めました」

「石の上にも三年。3年やりきれば、亡くなった父親も周囲も“よく頑張った”と褒めてくれるはずだ」。そんな思いで「まずは3年」と腹をくくり、会社を継ぎました。経験のなさを補うため、諏訪氏は周りの声に耳を傾けつつ、従業員教育に力を入れて意識改革を図りました。

基盤を整えてからは大胆な経営改革に着手。納期短縮や正確な原価管理を図り、生産性を上げるために生産管理システムを導入し、製品ごとの材料の割り付けや形状加工、穴あけなどの工程が今、どの段階にあるのかを可視化できるようにしました。いつ、どの製品のどんな作業に取りかかるべきかを誰もが即座に把握できる、無駄のない仕組みを構築したのです。

気がつけばダイヤ精機の経営はV字回復を果たし、当初の目標だった3年はあっという間に過ぎていました。後継者としての責任を果たし、自社を優良企業へと導いた諏訪氏はこのとき、みずからのモチベーションが落ちてきたことを自覚します。

「最初はとにかく業績を回復させようと懸命でした。でもそれを達成してしまったときに、これからは何か大義を持たないと、モチベーションを保っていくことはできないと思ったんです」

目標設定を自社に限定するステージは過ぎた。これからは課題を外に置く必要がある。そう気づいた諏訪氏が自分の中に掲げた大義とは、中小企業が生き残り、日本のものづくりをもう一度輝かせることでした。

ダイヤ精機の技術がわかるサンプル品。
ダイヤ精機の技術がわかるサンプル品。<br>(上)1ミリメートルから5マイクロメートルまでの各種の幅を、指で触り体感できる。10マイクロメートル以下はほぼまっ平らに感じるほど微小な幅である。
(下)棒の半分から右を機械が磨き、左を職人が磨き上げたもの。つやの違いから「鉄磨き屋」としての誇りが伝わる。

経営手法は誰にでも公開する

創業者である保雄氏は生前、東京商工会議所の大田支部の会長を務めていました。日本の製造業の未来を危惧し、再生に向けて尽力したいと活躍していました。諏訪氏は事業を承継しただけでなく、この思いも受け継いでいたのでしょう。これから続く人のためにできることは何でもやりたい。大義を実現すべく諏訪氏のチャレンジが始まりました。

まず、諏訪氏は大田区内の同業者との情報交換に力を入れ、講演会では自分が行ってきた経営手法を公開しました。

「隠すことは一つもないんです。私の話がヒントになって、成長につなげてくれるのであればこんなにうれしいことはありません。ダイヤ精機社内では『失敗』という言葉をなくしていますが、それは成長するためのチャンスだと考えているから。私の講演も同じです」

下請けからメーカーへ。これも諏訪氏が同業者に強く呼びかけている点です。大田区には単一工程の工場が多く、近くの工場に別工程を回し、発注された製品を納品できる「仲間まわし」と呼ばれるネットワークが築かれています。これは大田区の特徴であり、強みの一つです。しかし、諏訪氏はさらに一歩先を行く道を勧めます。メーカーとして要望された製品を言われたとおりにきっちりとつくることはもちろん、さらに自社内で完結できる自社ブランド製品を持つのです。

「弊社の場合、ゲージがそうです。売上比率は2割程度に落ちましたが、ゲージについては自社ブランドとして納められる。日本には大型ゲージをつくれる会社が5社しかありません。関西に集中しているので、弊社は東京ですが、その5社のうち最北端に位置しています」

ダイヤ精機では徐々に若い人材が増え、デジタル化も着実に進行しています。諏訪氏の活動はこれからの中小企業にとっても重要な指針となるはずです。

足場変えず、大義実現を目指す

諏訪氏の活躍の舞台は大田区にとどまりません。社長就任から10年が経過した頃から、大田区から「国」へと活動範囲を広げ、現在は政府の「新しい資本主義実現会議」の委員を務めています。

「メンバーは皆さん、いつも未来を見つめていて大局的なものの見方に私も刺激を受けます。でも、最初は政府の懇談会に参加しても、そうそうたるメンバーに緊張し、何も言えませんでした(笑)」

そう笑う諏訪氏はあるエピソードを語ります。麻生政権下で企業トップの懇談会に招かれた際、諏訪氏は何も発言しないまま会議が終わってしまいました。しかし、麻生総理が席を立った直後に「後悔したくない」とみずからを駆り立てます。諏訪氏はかねてから問題視していた雇用調整助成金の基準について麻生総理に直訴したそうです。

「私もあまりにも必死だったので、興奮していたのだと思います。その様子を見てSPが出動し、身体を抑えられながら訴えるという状況になってしまいました(笑)。ですが、そのときに同席していた経済産業省の方が、まるで同時通訳のように、私の訴えをわかりやすく麻生総理に説明してくれたのです。後日、私のお願いが内閣府で通り、“中小企業の現場の声を聞こう”という流れになったと聞きました。あのとき行動して本当によかったと、今も思います」

日本のものづくりを再生させたいという諏訪氏の思いは国を動かすレベルにまで達しています。しかし、諏訪氏の基盤は今も昔も変わりません。それは大田区であり、自社のダイヤ精機と従業員たちです。

「会社を支えてくれている従業員たちが大田区内に一戸建てを持てるような体制を整えること。これが直近の目標です。そして、これから10年をかけて事業承継の道筋を整えていく計画です。でも、引退をしても中小企業の活性化には死ぬまで取り組んでいたいですね。経営者の悩み相談にも応じていきたいです。そのために上級心理カウンセラーの資格も取りました」

自社を強くすること、その事例を広く共有すること。大義を持ち、問題意識を忘れず、解決に少しでも務めること。それが地域創生につながり、ひいては日本の産業の核ともいえる製造業の地盤強化につながることを、諏訪氏の活動は教えてくれます。

お話を聞いた方

諏訪 貴子氏

ダイヤ精機株式会社 代表取締役社長

1971年、東京都生まれ。1995年、成蹊大学工学部卒業後、自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現・日立Astemo)にエンジニアとして入社。1998年と2000年に父に請われダイヤ精機に入社するが、いずれも経営方針の違いからリストラに遭う。2004年、父の急逝にともない、社長に就任。経営再建に着手し、10年で同社を全国から視察者が来るほどの優良企業に再生させた。日経ウーマン「2013ウーマン・オブ・ザ・イヤー」大賞受賞。著書に『町工場の娘』『ザ・町工場』(いずれも日経BP)があり、NHKでもTVドラマ化された。

[編集]株式会社ボルテックス100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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