GDPに代わる新たな豊かさのモノサシ【前編】
目次
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前回、2020年度の実質GDP(実質国内総生産)が過去最大に落ち込んだ事象について、掘り下げて解説しました。実質GDPが内閣府から公表される度に、新聞やテレビを始めとする様々なメディアで取り上げられますが、有識者の中で今、このGDPについてどのようなディスカッションが行われているのでしょうか。
森記念財団都市戦略研究所が、森美術館やアカデミーヒルズと共催している国際会議「Innovative City Forum」において、『価値観の変容~GDPに代わる新たな豊かさのモノサシを考える~』というテーマでブレインストーミング・セッションが2020年11月20日に行われました。ファシリテーターとしてシンクタンク・ソフィアバンク代表の藤沢久美氏、スピーカーとして大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏、2013年から2021年までOECD東京センター所長を務めた村上由美子氏、株式会社カヤックグループ戦略担当執行役員の佐藤純一氏が登壇しました。そこで行われたディスカッションの中に、GDPに関するとても重要な論点が含まれていましたので、本コラムで取り上げます。
今回の前編では、3人のスピーカーがそれぞれに説明・提案した「GDPに代わる新たな豊かさのモノサシ(SDG仮説、地域資本主義、Better Life Index)」についてまとめます。各スピーカーが説明する用語や事実については、一部著者で補足しています。次回の後編では、3人のスピーカーが前編の内容を踏まえてディスカッションした内容を一部著者で補足しながらまとめ、最後に著者の所感を述べます。
SDG仮説(安田洋祐氏が紹介)
「SDG仮説」とは、市場経済以外の経済圏やコミュニティを分析するための新たなフレームワークです。安田洋祐氏は、GDPの特徴や問題点をあげたうえで、単位の大きさ「Size(サイズ)」と関係の親密さ(距離)「Distance(ディスタンス)」の掛け合わせで、地域(コミュニティ)に「Gravity(引力・重力)」が生まれるという「SDG仮説」を提示し、市場以外の経済圏を多様なモノサシで測ることの重要性について言及しました。
GDPの特徴
GDPは、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額、言い換えると一定期間内に生みだされた新しいモノを計上するモノサシです。すでに社会に蓄積されたストックとしての富を測る概念ではなく、あくまでも経済が現在動いているスピードを測る概念となっています。付加価値は、原則として市場で取引された財・サービスだけを計上しているため、家事労働といったお金を使わない経済活動はこぼれ落ちてしまうという特徴があります。
GDPの問題点と、解決策としての3つの選択肢
安田氏はまず一般論として、経済活動を測るモノサシには「測りにくい」「あまり役に立たない」「影響力が強すぎる」という問題点があることを述べ、その問題点をGDPに当てはめて解説しています。まずGDPは、市場で取引されたモノを測っていることから、「測りやすい」定義になっています。次に、本セッションの事前アンケートの質問項目「生活の豊かさを測る指標として、どの視点を入れるべきだと思いますか?」に対して「所得」が60%以上を占めていたことからすると、GDPは生産と所得と支出がマクロ全体で見ると一致することから所得を測る概念になっており、ある程度「役に立っている」と言えます。しかし、不完全なモノサシでありながら影響力が強すぎることが、GDPの最も大きな問題であると結論付けています。つまり、「自分自身の所得や、勤めている企業の売上が、昨年と比較して何%変化したか」について把握していない人でも、自分と直接関係のない日本全体の付加価値の総和であるGDPがコンマ数%変化したことに一喜一憂してしまっている現状からすると、知らず知らずの間に「GDPの影響力にさらされている」ことが実感できます。このGDPの問題点に対する解決策として、「GDPを使うのをやめる」「GDPに代わる他のモノサシを考える」「モノサシを増やし、多様化・多元化を図る」という3つの選択肢をあげています。
多様化・多元化を図る「SDG仮説」
以上を踏まえ、市場経済以外の経済圏やコミュニティを今後実りあるものにしていくためには、絶対的・垂直的な評価・交換の単位である「Size」と、相対的・水平的な評価・親密さの源泉である「Distance」という2種類のモノサシが、有機的に機能することが重要であると提案しています。1つめのモノサシである「Size」は、お金がその最たる例で、現在とても使い勝手のよいモノサシになっている反面、「年収の高い人が偉い」といったような「数が多ければ多いほど望ましい」という絶対的・垂直的な評価になってしまいがちです。2つめのモノサシである「Distance」は、他者との距離です。距離は測れるかもしれないが、絶対的な指標にはならないので、あくまで「それぞれの人から見てどれぐらい近いか」という親密さを評価します。そして、このような親密さを感じられるようなコミュニティや経済圏であれば、人々が自発的に集まってくる可能性があります。そのうえで、各々のコミュニティに対する貢献度をうまく見える化することができれば、「Size」と「Distance」のバランスを取っていくことができます。このような「Size」と「Distance」のバランスが取れた経済圏やコミュニティには、結果的に人々を引き寄せる「Gravity」が働くことになります。
地域資本主義(佐藤純一氏が紹介)
「地域資本主義」とは、「地域環境資本」「地域社会資本」「地域経済資本」という3つの資本を指標化して、それらの資本をバランスよく増やしていくことで、それぞれの地域が多様性ある持続可能な成長を実現できるという考え方です。佐藤純一氏は、1つのモノサシで社会を測ると画一的になってしまうことに触れながら、「地域資本主義」について説明しました。
株式会社カヤックのビジネス
日本は、高度成長期以来、「早い」「安い」といった共通的価値をもつ「サービス的価値創造」により成長を遂げてきました。近年においては、経済的な成熟により趣向が多様化し、個性的な楽しさや豊かさが求められる時代となっています。鎌倉市に本社を構える株式会社カヤックは、コンテンツごとに存在する特有の価値観に着目して、多様化や個性化を源泉として新たな価値創造を行う「コンテンツ的価値創造」を強みとしている企業です。eスポーツ関連事業やウエディングサービス事業、葬儀会社や地域商社など、多種多様なコンテンツビジネスを展開しています。
「地域資本主義」が誕生した経緯
民間企業の立場として「つながるまち」鎌倉を作っていく目的で、「まちの社員食堂」や「まちの人事部」といった地域特化の事業を行っており、それらの活動をまとめた『鎌倉資本主義』という書籍を出版しています。鎌倉資本主義とは、鎌倉市の人や企業が鎌倉市の豊かさを育て、そこに関わる人たちが皆豊かになっていくという考え方です。そして、鎌倉市以外での利用を可能にするために作られた1段上のメタモデルが、「地域資本主義」です。
「地域資本主義」の考え方
「地域資本主義」は、「地域環境資本(自然や文化)」「地域社会資本(人と人のつながり)」「地域経済資本(財源や生産性)」という、地域特有の3つの資本で構成されます。それぞれの資本を元手に、自然や文化、人と人のつながり、財源や生産性を増やしていくという考え方です。その考えを実現する1つの方法として、株式会社カヤックが発行する「まちのコイン」という、換金性がなく、「まちの社員食堂」や「まちの人事部」といった地域のつながり作りにしか使えない独自通貨が、地域の中で循環する仕組みがあります。この仕組みは、つながりを生むためのコインがどれだけ流通していくかを測ると、「地域社会資本」を「国内総つながり生産(Gross Domestic Connectedness)」という形で表現できていくという仮説にもとづいています。
Better Life Index(村上由美子氏が紹介)
「Better Life Index(より良い暮らし指標)」とは、暮らしの11の分野(住宅、所得、雇用、社会的つながり、教育、環境、市民参画、健康、主観的幸福、安全、ワークライフバランス)について、OECD加盟国とブラジル・ロシア・南アフリカの計40カ国で比較ができるという指標です。村上由美子氏は、従来のGDPの問題点に触れながら、「Better Life Index」を通して見える日本の現状について説明しました。
GDPは、社会全体の幸福度を測ることを主眼として作成されたモノサシではなかった
GDPは、世界恐慌がはじまった1929年から第2次世界大戦へと移る時代に、「戦争にどれほどのお金が掛かるか」「軍事的な資金がどれほど掛かるか」について計測することを大きな目的の1つとして作成されたモノサシです。そのため、GDPが作られた時には、社会全体の幸福度を測ることは、ほとんど意識されていませんでした。GDPには、「今この時点の数字しか測れていないために、将来何が起こりそうかということまでを反映できていない」あるいは「個々人間の格差を勘案できていない」といった問題があります。
幸福度を測る「Better Life Index」の作成経緯
世界の様々な国は、「これらの問題をどのように解決していくか」について、色々な形で議論を重ねてきました。2009年に行われた「経済パフォーマンスと社会的進歩の計測に関する委員会(スティグリッツ委員会)」では、「1つの指標で捉えるのは難しいことをしっかりと受け止めて、幾つかの指標を使うのがよいのではないか」という結論となっています。そこで、2011年からOECDは、同委員会の報告書の内容をもとに、幸福度を測る「Better Life Index」を作成しています。
「Better Life Index」における日本の最新の数字
「Better Life Index」における日本の最新の数字を見ると、「Civic engagement(市民参加)」という項目が、低い結果となっています。理由は、選挙の投票率が低く、法律を作る過程にあまり関わっていないためです。次に、「Health(健康)」という項目も、意外と低い結果になっています。これは、自分自身の健康状態に自信が持てていないことによっています。そして、「Work-Life Balance(ワークライフバランス)」という項目では、労働時間や通勤時間の長さが影響して、他の国と比べて著しく低い結果となっています。一方、「Education(教育)」という項目は、高い結果となっており、これは学歴スコアや読解力スコアの高さによっています。
その他に「Better Life Index」で明らかになったこと
また、ヨーロッパの一部の国でデータを取った「Trust(一般的信頼)」は興味深い項目です。この「他者を信頼していると回答した人の割合」という項目と、「1人あたりGDP」の相関関係を調べた研究では、高い正の相関が導出されています。つまり、「社会を信頼できる」「近所の人を信頼できる」「政治のリーダーを信頼できる」と感じている人たちの割合が多い国ほど、「1人あたりGDP」が高くなっているということが判明しています。次に、「Inequality(不平等)」という項目を見ると、日本は近年経済格差が拡大してきており、特に女性の片親家庭の貧困率が高くなってきていることが明らかとなっています。「欧米に比べると、日本の経済格差は少ない」と感じていた人には、気付きとなる研究結果です。GDPは全体を見るモノサシであるため、数値が高くても、その国の中の経済格差はまったく見えないことが問題点です。
【参考文献】
Innovative City Forum 2020 Brainstorming Session 分科会【B2】「価値観の変容~GDPに代わる新たな豊かさのモノサシを考える~」(2020/11/30) https://www.youtube.com/watch?v=Nz-9a2o4KcQ(2021年8月31日閲覧)
OECD東京センター「より良い暮らし指標(Better Life Index: BLI)について」
https://www.oecd.org/tokyo/statistics/aboutbli.htm(2021年8月31日閲覧)
株式会社カヤック「鎌倉本社の理由」 https://www.kayac.com/vision/kamakura(2021年8月31日閲覧)
内閣府(2010)「社会進歩及び幸福度に関連する国際的潮流」
https://www5.cao.go.jp/keizai2/koufukudo/shiryou/1shiryou/7.pdf(2021年8月31日閲覧)
NEWS PICKS(2020)「【安田洋祐】新たな“SDG”で経済を紐解く」(2020/11/10) https://newspicks.com/news/5363377/body/(2021年8月31日閲覧)
後編はこちらから
著者
安田 憲治
一般社団法人 100年企業戦略研究所 主席研究員
一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。塩路悦朗ゼミで、経済成長に関する研究を行う。 大手総合アミューズメントメント企業で、統計学を活用した最適営業計画自動算出システムを開発し、業績に貢献。データサイエンスの経営戦略への反映や人材育成に取り組む。
現在、株式会社ボルテックスにて、財務戦略や社内データコンサルティング、コラムの執筆に携わる。多摩大学社会的投資研究所客員研究員 。麗澤大学都市不動産科学研究センター客員研究員。
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