THE EXPO 百年の計 in 京都 開催レポート
目次
令和元年5月22日(水)第11回目の開催となる「THE EXPO~百年の計~ in 京都」が京都府京都市のリーガルロイヤルホテル京都にて開催されました。
創業100年以上の企業が約3万社、創業200年以上に至っては世界全体の約56%を占める日本。
国の資産であり、国力の源泉ともいえる長寿企業の根幹にはいったい何があるのか?
長寿企業の宝庫─京都。
都市が老舗を育んだのか、それとも老舗が都市の魅力を高めているのか?
老舗企業3社を迎え、そのイノベーション力を考察したシンポジウムの内容をレポートします。
プログラム
【第1部】
◆開会挨拶
株式会社ボルテックス 代表取締役社長 兼 CEO 宮沢 文彦
株式会社PHP研究所代表取締役会長、パナソニック株式会社取締役副会長 松下 正幸
◆基調講演
ボストン コンサルティング グループ シニア・アドバイザー 御立 尚資
【第2部】
◆問題提起
大阪大学名誉教授 宮本 又郎
◆パネルディスカッション
株式会社イシダ(創業125年) 代表取締役社長 石田 隆英
株式会社半兵衛麸(創業330年) 代表取締役社長 玉置 万美
株式会社細尾(創業331年) 常務取締役 細尾 真孝
◆モデレーター
株式会社PHP研究所 理念経営研究センター 代表 渡邊 祐介
【第3部】
◆交流会(総合司会)
株式会社PHP研究所 理念経営研究センター 主席研究員 川上 恒雄
シンポジウム写真撮影 白岩 貞昭
開会挨拶
開会に先立ち、主催者を代表してボルテックス代表取締役社長兼CEOの宮沢文彦と、PHP研究所代表取締役会長、パナソニック取締役副会長の松下正幸が挨拶に立った。
宮沢は、「“区分所有オフィス” を主軸にした資産形成コンサルティングを行うボルテックスは、クライアント企業に対し、本業に連動しない収益事業としての不動産ビジネスを提案することで事業の継続性を高めてもらい、結果として長寿企業を増やすという独自の『100年企業戦略』を提唱している。これは同時に、地方創生やデフレ対策といった、日本が抱える諸問題へのソリューションにもつながるとの考えに基づく。本イベントが、本日参加くださっている企業様の “これからの100年” の戦略を考えるきっかけになれば」と挨拶。
また松下は、「祖父・松下幸之助が創業し、昨年100周年を迎えたパナソニックは、“理念と伝統とイノベーション” で100年続いてきたが、先輩老舗企業はどうか。今日はこの3点から京都の老舗の力の謎を解き明かしてほしい」と呼びかけた。
基調講演
並存の時代
100年企業の条件となる、今持っておくべき時代感覚とは
御立 尚資
ボストン コンサルティング グループ シニア・アドバイザー
京都大学卒、ハーバード大学経営学修士。日本航空を経て1993年BCG入社、同社日本代表も務めた。
現在、京都大学、早稲田大学客員教授のほか、複数の企業・団体の役員や社外取締役を兼務。
1000年に1回の大変化が続けて起こりうる
100年企業をテーマに議論をする場合、「これまでどのように100年続いてきたか」と同時に、「次の100年をどう生きていくか」を考えなくてはなりません。そのためには、現代のような大変化の時代は、変化の根源を理解してマクロに対応することが必要です。
企業が100年、200年と生き残るために大事なことは2つあります。ひとつは、時代環境や時代背景に即してお客様に向けた新しい価値をつくり続けること。もうひとつは、時々ドカンとやってくる激変─自然災害、戦争、パンデミック(感染症の世界的大流行)など─を凌しのぐだけの体力や組織能力をつくっておくことです。
今は、本当に大きな出来事、1000年に1回くらいの大変化が続けて起こってもおかしくない時代構造になっています。そこで、そうした時代環境の中で少し俯瞰(ふかん)した話、つまり超長期のスパンで押さえておかなければいけない根源的要素をお話し申し上げて、パネルディスカッションにバトンを渡していきたいと思います。
工業化とデジタル化が重なる「並存の時代」
世界の経営者の方々に、「近年は変化が激しい時代ですが、その変化の理由は何だと思いますか」と尋ねると、皆さん「デ
ジタル化」とおっしゃいます。でも、そうでしょうか。
たしかにデジタル化は社会に変化を起こします。しかし今我々が経験している変化の大部分は、実は “前の時代” が最終局面に来たことから起きている変化です。デジタル化が起こす変化というのはまだ序の口で、本番はこれから。ミクロで見ればデジタル化のおかげで我々の生活は変わったように思えますが、マクロ的にはITやデジタルが一国の経済成長を変えた例はまだひとつもないのです。
“前の時代” というのは、工業化の時代です。工業化とデジタル化の両方が重なっているのが今の時代。今まさに「並存の時代」にあるというのが、本日お話し申し上げたいところでございます。
18世紀後半の第一次産業革命以降、工業化が進み、今、その時代がいよいよ最終盤を迎えています。工業化の終盤、世界中に工業国が増えたことによって力のバランスが崩れ、地政学リスクや覇権国争いが起きています。工業化によって地球全体が豊かになってきたのはプラスの側面ですが、一方、先に豊かになった人たちと後から豊かになってきた人たちとの間で様々な問題が起きています。覇権国争いはこうして起こります。
また、工業化が起こると都市化が起こります。都市に住む人が食べる鳥や豚を、大量に、効率的に集中生産を続けていると、ウイルスがどんどん変異してパンデミックが起こりやすくなります。都市化すると自然災害にも弱くなります。洪水などで都市機能が麻痺すると、考えられないほど被害額が大きくなりますし、影響は地球規模で広がります。2011年にタイで起きた大雨・洪水が日本の製造業に大きな影響を及ぼしたことをご記憶の方も多いと思います。食料問題、地球温暖化問題もあります。“禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし” と言いますが、工業化が生んだ豊かさゆえの大きな変化が、まさに目の前にあるのです。
我々はまずこれを理解しておかなければなりません。企業の皆さんはここ100年、200年の工業化時代にうまく適応してこられましたが、これから本格的に始まろうとしているデジタル化時代には、ひょっとしたら、違うことが起こるかもしれないのです。
次代の商売モデルをつくるのは民間の企業家魂
これから起こる変化のひとつはAI(人工知能)です。AIの機械学習のモデルは実は30年も前からあったのですが、近年特に大きな話題になってきたのは、使えるデータ量が爆発的に増えたからです。世界の情報貯蔵量を見ると、2000年には総情報量に占めるデジタルデータの割合は25%でしたが、2015年には99.99%。機械が自動的にデータを生成するようになったからです。
通信環境もまもなく5Gになり、まったく違うレベルのスピードで情報がやり取りできるようになります。当然、コンピュータの計算能力の向上もあります。AIというのは、まずデータがあって、そこから最適な解を求めるものなので、それができる条件が揃ったのが最近であるということです。現在はたまたまGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの4つの主要IT企業の頭文字をとった総称)と言われるような企業が今ある情報を使って儲けてきたわけですが、それが絶対ではない。本当に産業が変わるのはこれからなのです。
ただし間違えてはいけないのは、文化・風俗や経済・社会構造というものは、デジタルのようにイチ・ゼロで変わるものではないということです。既存のものに上書きしながら、必要な部分を変えていく。したがってルールを変えなければなりません。これまで皆さんがつくってきた商売のルールに、デジタルが掛け算されることになるのです。
これから来るデジタル化時代にどんな商売のモデルが主流になるかは、まだわかりません。それをつくるのは政府ではなく、ここにいらっしゃる皆さんのような民間企業の方々の企業家魂です。どんなモデルが主流になるかを何度も何度も試す中から、勝ち組が出てくるのです。
次の100年を生きるために
今日ここに集まられた100年続く企業の皆さん、またそれを目指している皆さんに私が申し上げたいのは、工業化時代に最適だった人のつくり方、雇い方、商売のリスクのとり方などは、デジタル化時代において最適とは限らないということです。その中でどう両者のバランスをとって新しいやり方をつくるのか。ここにトライすれば、次の100年に生き残る確率が上がるのではないでしょうか。
パネルディスカッション
京都の老舗
イノベーション力の謎を解く
パネリスト
コメンテーター
モデレーター
問題提起
宮本 又郎
神戸大学大学院修了。経済学学博士(大阪大学)。経営史学会会長、企業家研究フォーラム会長等を歴任。
現在、大阪企業家ミュージアム館長。
経営史研究の立場から3つの論点でお話ししたい。まず第1の論点は、「ベンチャーか、老舗か」。日本は諸外国と比べ起業は低調な一方、老舗は多く、なかでも京都は老舗出現率が非常に高い。日本経済では長寿企業が主役であり、“事業は有限だが、企業は永遠” と考える傾向が強い。長寿企業にはファミリービジネス(創業家一族が企業の所有や経営に関わる企業)が多い。近年では、起業が盛んなアメリカでファミリービジネス再評価の動きもみられる。
以上から導かれる仮説は、「老舗やファミリービジネスが経済の主役」であり、京都はその典型である。
第2の論点は、「老舗:永続性とイノベーション」。長寿企業には “不易” と “流行” の二側面がある。不易とは信用や伝統、技術や技能の伝承であり、流行とは時代への適応や事業・組織の変革などである。ダーウィンが「生き延びることができるのは強者や賢者ではなく、唯一、変化に適応できる者だけだ」と言ったように、企業も伝統を守る(不易)だけでは存続できず、永続のためにはイノベーション(流行)が必要である。
ここで、イノベーションがあるから長寿になれるのか、長寿だからイノベーションが起きるのか、という問題が浮上する。これに対する仮説は、“永続” への強い希求がイノベーションを起こしているのではないか、である。
長寿企業を調べると、共通して家産・家業・家の存続を重視していることがわかる。特に京都の商家では、家督や家産は当主個人のものではなく子々孫々に受け継いでいくものという意識が強い。いわば、当主はリレーのランナーにすぎず、大事なことはバトンである家産、家業をきちんと次に渡していくこと、という考え方である。
しかし、「存続」意識だけでイノベーションが起こるかと言えば、そうではない。特にファミリービジネスには、保守性や閉鎖性などイノベーションを阻(はば)む要因があり、それら阻害要因をどう克服するかは大事な点である。
最後の論点は、「京都の特性と老舗─大阪との比較」。ワープロになぞらえれば、大阪の歴史は “上書きモード”。過去と断絶しながら不断に革新を遂げてきた。一方京都の歴史は “挿入モード”。古いものを受け継ぎながら緩やかに革新を継続してきた。また、地域との相互依存がさほど強くない大阪、強固な京都、という違いもある。さらにステークホルダーとの関係は、大阪はスポット取引、市場経済的であるのに対し、京都は長期相対(あいたい)取引を重視し、同業とは棲み分けをして過度な競争はしないという違いもある。
問題提起
1 「登壇3企業は、どのようにしてイノベーションを遂行してきたか? 何が最重要の成功要因だったか?」
2 「京都には豊かな老舗存続条件がある?」
イノベーションを生み出す価値観
宮本 先生、貴重な問題提起をありがとうございました。それでは、まず第1の問題提起として頂戴した「どのようなイノベーションを行ない、何が成功要因だったか」について探っていきたいと思います。皆様の会社には、イノベーションを生み出す風土、考え方、価値観のようなものは、おありでしょうか。
石田 イシダには、「世の適社・適者」という理念があります。世の中がどんなに変わっても、世の役に立って人に喜ばれるようなものをつくり続ける会社でありたい、という願いです。そして、それを社内で共有するために「三現主義」や「Speed !Speed ! Speed !」「志、そして日々前進」といった5つの行動規範を定め、表彰制度と一体で運用しています。例えば、「世の適社・適者」を体現し、仕事のやり方を変えたり新しい製品を開発したりした社員に「チェンジ賞」を、「三現主義」を実践し、お客様や社会の期待にお応えした社員には「三現賞」をというように、それぞれの理念や行動規範に対応した表彰を、社員同士のコメント付きの投票に基づいて行なっています。
玉置 半兵衛麸には「先義後利(せんぎこうり)」と、宮本先生がおっしゃった「不易流行」が家訓としてあります。3代目が石田梅岩の哲学(石門心学)を学び、そこから商売の精神を引き継いでいます。また、「私たちの約束」として、社員一人ひとりがみずから行動することやチャレンジすることを宣言し、それをカードにして皆で唱和するほか、私からは仕事の場面ごとに考えていることを発信するようにしています。京麸に込められた心をつなげ、伝えていくために、“常に一歩先を見て” 行動したいと思っています。
細尾 「着物文化を未来に」という思いで事業を展開しています。具体的には、海外に向けて西陣織を “素材” としてアピールし、「more than textile」をスローガンに掲げています。“織物” を超えていけるか。そのために、バイオテクノロジーを用いて光るシルクを開発したり、AI(人工知能)で織物ストラクチャーを組み上げたり、大学研究機関と連携したりしています。もうひとつは、そうした取り組みを通じて職人の地位を上げていくことです。人の手によってものづくりをしていく価値を、社会の中でどう最大化していくか。そこも挑戦です。
渡邊 3社とも、世の中の変化に適応し、あるいは変化を先取りしていくような価値観をお持ちで、それを社内で共有する努力もされているのですね。
御立 企業は、戦略や行動規範を時代に応じて新しいものに変えていかなければなりません。今日の商売と明日の商売は違いますし、今日活躍する人と明日活躍する人も違うかもしれない。そういう時代に、従来とは異なる価値観を提示していくのは、経営者として難しい取り組みだと思います。
どのようにイノベーションを起こしたか
渡邊 イノベーションを起こすためには、組織の力が必要でしょうし、戦略もなければならないと思います。老舗として、事業のコアな部分、あるいは強みを振り返られて、いかがでしょうか。
細尾 西陣織の職人は、個々にはたくさんの技術を持っていますが、海外事業を展開する前は、そうした技術が高く評価される機会に乏しく、職人自身もその価値に気づいていませんでした。しかし、シャネルやディオールという海外の高級ブランドと仕事をするようになると、パリ・コレクションに発表しているファッションデザイナーが職人に会いに来る。すると、自分の仕事をライフワークとして捉えられるようになる。その結果、若い職人も増えていくんです。以前は職人を募集してもなかなか集まらなかったのですが、今は募集人数の10倍から20倍もの若い人たちが全国から応募してきます。西陣織であることには変わりないのに、捉え方を変えただけで職人の価値の見え方が変わるのです。
玉置 半兵衛麸が扱う「なま麸」と「やき麸」は、材料も製造工程も使う機械も違います。以前はまったく別の業種だったのですが、お客様にどうしたらおいしい麸を食べていただけるかを考えた時に、両方やることにしたのだと思います。明治時代にはお寺から湯葉もつくってほしいと言われ、自社製造するようになりました。お客様に喜ばれる方法を考えていたら、今の形になったのです。また、麸の調理法も時代に合わせていかなければ、いずれ麸を食べる人がいなくなるという危機感があり、若い世代の人たちが馴染んでいる洋風にレシピをアレンジしたりしました。
石田 一般的に製品開発にあたってはシーズとニーズの2つのアプローチがありますが、イシダは100%ニーズベースでやっています。当社のお客様はほとんどが食品工場かスーパーマーケットですが、“お客様のお困り事” をベースにイノベーションを続けています。例えば “包む” という工程もやってほしいという要望を受けて、包装機、さらには検査機へと事業が広がりました。お客様は同じでも、当社の技術は変わっていく。その過程で大学と共同研究をさせていただいたり、IT企業と組ませてもらったり。よその力を借りながらイノベーションを起こしてきました。
渡邊 コラボレーションはイノベーションの大きな要素ですね。玉置さんや細尾さんの会社では、コラボレーションの取り組みはありますか?
玉置 パティシエと組んで新しい麸のお菓子をつくったりしています。東京のGINZA SIXにお店を出したのは、新しいレシピを新しいお客様に食べていただこうと思ったからです。麸にチーズを練り込んだものなどを提供しています。一方で伝統的なものを守っているので、既存の商品と一緒に並べるのはあえて避け、別ブランド「ふふふあん」を立ち上げました。そこから麸の伝統や歴史に興味を持っていただきたいと思っています。
細尾 当社も小さな会社ですので、社内に開発部門がありません。「海外で西陣織をやっていく」という意気込みで家業に戻ったのですが、社内には前例も、そのための部署もない。海外に出すなら和柄がいいだろうと考えて見本市に持っていったものの、オーダーが入らず事業は赤字続き。社内には、「着物が大変な時に、社長の息子が戻ってきて海外で赤字を垂れ流している」という空気がありました(笑)。それでも2、3年続けていたところ、ある建築家との出会いがあり、それがクリスチャン・ディオールとのプロジェクトに発展していきます。その時、「和柄をやめれば広がりが出る」ということに気づきました。
もうひとつは、西陣織を素材として使うために、1年かけて世界で1台の「150㎝幅の西陣織の織機」をつくったことです。そこから素材マーケットが展開していきます。赤字を垂れ流した3年間というのは、会社にとっては失敗だったかもしれませんが、この3年がなければ、ニューヨークで建築家に会った時、「海外で成功する西陣織は素材しかない」という確信は持てなかったと思います。挑戦することが、次のイノベーションの鍵になるんですね。
宮本 ファミリービジネスのいいところは、失敗が少し許されるところですね。一般的に企業は短期思考なので、2、3期続けて赤字を出すとその事業はやめてしまえ、となります。その点、ファミリービジネスでは、オーナーがある程度許せばチャレンジできるという強みがあります。
長い歴史の中、どう危機を乗り越えたか
御立 長い歴史の中には、危機もあったと思います。それをどう乗り越えて、どう語り続けているか。そのことが今チャレンジされるにあたり、影響しているのではないかと思います。エピソードを聞いてみたいですね。
石田 ハカリがアナログからデジタルに変わった時に技術革新が起こりました。当社にはデジタルの技術者がまったくいなかったので、京都大学の先生のお力を借りました。なんとかやっていくうちにピンチがチャンスになり、今までになかった製品につながっていきました。
玉置 明治の工業化がひとつの節目になりました。それまで石臼で挽いていた小麦が精白小麦に変わった時に、麸のつくり方が大きく変わったと思っています。でも、そのほうがおいしくつくれるのであればそうしようということで、私の曽祖父が精白小麦でつくり、明治36年の内国勧業博覧会で賞をいただいています。それぞれの代で少しずつ工夫して乗り越えてきたと思います。また、戦争時代には小麦が手に入らない時もありました。さらにその時には機械を供出してしまいましたが、技術は手についているものなので、鍋と釜さえあれば伝承できると信じて乗り切ったように聞いています。
細尾 西陣織の危機としては明治の遷都があります。体制がガラッと変わり低迷の時代がやってきます。その時、西陣の旦那衆がお金を出し合い、3人の若い職人をフランスのリヨンに送り出しました。リヨンには当時の最先端の織物技術があったからです。3人はそこでジャガード織を学びます。人の動きをプログラム化した当時最先端のハイテクです。それを持ち帰り、西陣の素材はそのままに技術革新を起こしました。1日数ミリしか織れなかったものが1メートルも2メートルも織れるようになったのです。
新たに起こすイノベーション
渡邊 これまでの伝統を踏まえ、今後はどのようにイノベーションを起こしていきたいとお考えですか?
石田 高齢化社会なので、医療の分野に進出してみようと思っています。最近、医療用ベッドに取り付ける排尿計測記録システムをつくりました。この事業をまずアメリカで立ち上げ、それを日本に導入しようと思っています。新事業の挑戦です。
細尾 西陣織とバイオテクノロジーを掛け算する取り組みを行なっています。クラゲの蛍光タンパク質の機能を蚕(かいこ)に与え、光るシルクで西陣織をつくる新たなプロジェクトを始めています。これは最終的にはイギリスのヴィクトリア&アルバート
博物館で展示され永久保存されています。バイオ以外では、西陣織は複雑な織り方ができますので、織物の美観をそのままに、その中にテクノロジーを生かしていく。そういう取り組みにも挑戦しています。
玉置 これからもお客様においしい麸を食べていただくために、心を込めて麸をつくり続けていこうと思います。日々の取り組みの中で “こうしたらいい” と思う小さな積み重ねを大切にしており、画期的なイノベーションはないのかもしれません。守るべきは精神だと思っていますので、その目的は変えずに、方法を変えていきたいと思っています。
京都だからこそできたこと
渡邊 最後に、宮本先生の2つめの問題提起に関連し、京都で事業をしてよかったと思うことがあれば教えてください。
石田 いい大学が多いので、優秀な人材が来てくれます。また、関連企業や協力工場が多いのも有難いことです。部品メーカーが多く、それを支える板金屋さんにも恵まれています。それと、経営者コミュニティが小さく、先輩方などから直々に経営を教えていただけます。質素倹約をよしとする文化の中で切磋琢磨できるのが京都の魅力です。
玉置 麸は精進料理や和食とともにあり、京都でなかったら存続しなかった食材だと思っています。麸に適した京都のお水だからつくることができる。また、コミュニティがしっかりしており、他業種の方から経営のことを教えていただけます。京都の人は “新しもん好き” です。真ん中を外さなければ、新しいものへの挑戦は認め、応援していただける。これからは私も若い人たちに対して同じように支援していきたいと思っています。
細尾 京都には伝統工芸・伝統芸能が息づいている一方でハイテク産業もあります。過去を振り返れば、そのぶん未来を見渡すこともできる。時間軸の多様性がある都市です。西陣織も着物だけでは成り立たなかったでしょう。お茶やお花、他の文化がたくさんあってこその西陣。そこが面白いところだと思っています。
渡邊 信頼されている強い商品があるからこそ、皆様は京都の老舗として長年評価されてきたのだと思います。松下幸之助はかつて、お客様との間の信頼や支持は、契約を交わしているわけではなくとも “見えざる契約” によって保たれていると語ったことがあります。ただ、お客様に甘えて商品に対する新たな工夫や努力を怠っていれば、“契約違反” ということでお客様は離れていたと思います。その意味で、イノベーションに挑戦し続けることは、長寿企業には必須のことだと改めて感じました。
本日はたくさんの議論ができました。ご登壇の皆様、本当にありがとうございました。