先代が創り上げてきた逆境に立ち向かう精神でさらなる展開を。イノベーションとグローバル ~100年企業の経営者インタビュー~

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民間初の「ハカリ」メーカーとして、120年以上の歴史を持ち、食品や食材などの計量技術と安全・安心な「食のインフラ」を提供してきた株式会社イシダ。
創業からの歩み、未来の経営戦略までを、石田社長に語っていただきました。

ハカリの世界的メーカーの創業。受け継がれる会社経営のDNA


ハカリの製造は、江戸時代まで幕府が厳しく統制してきましたが、明治に入り民間に解放されます。1893年、京都府議会の議員を務めつつ薬屋を営んでいた創業者の音吉氏が、政府から依頼されてハカリの製造販売事業、石田衡器(こうき) 製作所を始めました。

30歳で社長となった先代は、デジタル化に遅れをとるも69年発売の電子計算ハカリ「デジタル75」で大きな一歩を踏み出し、72年に発明した世界初の組み合わせ計量機(コンピュータスケール)「ACW」で、イシダの名を世界に知らしめます。

「ハカリがアナログからデジタルに変わる頃、当社にはデジタルの技術者がいなかったので、京都大学の電子工学が専門の教授に頼み込んでお力を借りたと聞いています。今でいう産学連携で、一緒に頑張っていくうちにピンチからチャンスにつながったのです」

組み合わせ計量機ACW
組み合わせ計量機ACW
組み合わせ計量機 (コンピュータスケール)
組み合わせ計量機 (コンピュータスケール)

発想とひらめきで勝負は決まっていた

「組み合わせ計量機」は、大きさや重さがばらばらの食品を一つずつ量り、設定された重さに最も近い“ベストな組み合わせ”を、コンピュータで瞬時に選びます。この発想は、高知県の農協の方から、農家の皆さんが大変な労働力をかけて、ピーマンを同じ重さにパッケージしているという苦労談を聞いたのがきっかけでした。ピーマンの「定量計量」の自動化システムは、農産物からスナック菓子、工業製品にまで用途が拡がり、世界中の国で使われるようになりました。

「組み合わせ計量の発想は、農家の方がピーマンをいくつか手に取ってハカリに乗せて計量し上手に150グラムの組み合わせを作り出しているのを見てひらめいたようです。発想を自動化システムとして実現するために試行錯誤し、半年ほどでできました。」

難しかったのはその組み合わせ計算するコンピュータを小型化するフェーズ。それを自社の人材で成し遂げました。社員の5人に1人は研究に関わっているというイノベーティブな文化が、当時から醸成されていました。

先代が実践してきた「サファリパーク経営」

経営者と一言で示したとしても、発明家型の経営者や社員を先導するプロデュース型の経営者などさまざまなタイプがおられます。しかし、先代は発明家型の経営者ではなかったそうです。

「先代はまったく発明家型ではありませんでした。しかし何が得手だったかといえば、人心掌握です。人がどういうときに動いて、どういうときにおかしくなるかとか、人心の機微に長けていました。
よく話していたのは『サファリパーク経営』。大きなイシダという会社のくくり、囲いはあって大方針を決めたとしても、あとは皆、自由にやってくれ、と。細かいことは言わないですね」

社員を自発的にさせ、育てる。その意識が浸透していたのです。その方針は、事業承継の際も変わらなかったようです。

「私が37歳の時、先代から3年後に社長を譲ると言われました。オープンにしてもらったお陰で、逆算して3年で何ができるかと考え、MBAを取りに行くなどスケジュール感をもって準備することができました。それまでに、技術、営業、マーケティングを経験していたので、管理本部で人事、経理、総務の現場も一通り回り、学びました」

旧KKDから新KKDへ 事業承継と変化

会社を継いだとき、理念には3パターンの流れがあったそうです。それは、創業の元祖からのもの、100 周年のときにCI(コーポレートアイデンティティ)事業の一環として社員さんから意見をきいて決めたもの、先代の思いで語られているものでした。それをまず一本化することから始めたのです。

「『三方良し』という言葉は昔からあったと思いますが、『世の適社・適者』は先代が大事にしていた理念です。イシダは代々引き継いできたものをその時々でアレンジしてきました。そういう意味で私もいくつか変えさせてもらったものがあります。先代の時代に『biggestよりbest』といった考え方がありましたが、統廃合させてもらった。そうやって、整理していくことが社長としての最初の仕事でした」

理念の整理のほか、時代に合わせてこれまでの営業手法を見直すことにも着手しました。

「先代の時代の方々はどちらかというと旧KKD(経験・勘・度胸)。取締役会も非常に迫力がありました。今の時代は新KKD(科学・計画・データ)ですね。具体的には、以前の営業マンは『うち頑張っとります。これだけ売っています』といいますが、シェアやスキルについて聞かれると答えがまったく出てこなかった。スキルもお客様のデータも数字で出すようにしました。KPIみたいなものですね」

イシダの人材育成

活発な企業風土を実現するために肝心なもののひとつが、人材の育成でした。イシダでは2軸のスキルマトリックスを基に行われています。

「例えるなら、大学の一般教養と専門科目。一般教養では、新人研修・係長研修・課長研修・部長研修といった、どの部署でも同じように必要となるリーダーシップスキルなど、汎用性の高い一般スキルを磨きます。専門科目では、営業、技術、SE、サービス、購買など、求められる能力が違い、技術ならTo-Beエンジニアという外部の試験にプラスして、社内でソフトとハードと5科目くらいを決め、チャートなどにしています。それを個人の評価とリンクさせていますね」

さらに資格認定制度も取り入れるなど育成を重視しています。社員の自発的な行動を期待してさまざまな取り組みを行っているそうです。

「1人当たりの予算を決めて、外部研修と社内研修を併せて行っています。そこに、ボーイスカウトのようなイメージで、例えば、ある技術のコンサル提案までできると金メダルなど、何かができるようになると名札の下に金・銀・銅のメダルを増やしていく。それによって、社員のやる気と自信につながります」

「はかりしれない技術を、世界へ」

今後、力を入れていきたい分野にも、広がりと可能性をキッチリ併せ持っています。石田社長ご自身がリーダーとして立ち上げたプロジェクトについてもより大きく展開していくということです。

「大きくはイノベーションとグローバルです。イノベーションの方向性としては、メディカル・医療・医薬の分野で、グローバルはインド・中国です。ほかに面白そうなトピックで言うと、アフリカ。ケニアに営業所を昨年設け、2019年は私もケニアに行きました。そして、インドの西側に工場を造ったのですが、そこではインドの内地向け生産拠点とするほか、アフリカへの輸出も考えています。そうすると、南米、北米、アジア、ヨーロッパ、アフリカと、大陸制覇ということに。いよいよ世界制覇が見えてきた、という段階に来て、社内は今、ますます活気立っています」

継承された理念にイノベーションを加え、社員の力が思う存分発揮され進化し続ける展開から、目が離せません。

お話を聞いた方

石田 隆英 様

株式会社イシダ 代表取締役社長

1970年京都市生まれ。1993年明治大学政治経済学部卒業。1997年民間初のハカリメーカー、 イシダ入社。2007年、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了(MBA取得)。2008年、取締役副社長に就任し、2010年5月から現職。公職として、一般社団法人京都経済同友会幹事、公益社団法人左京納税協会副会長、一般社団法人日本YPO監事などを務める一方、2018年10月より経済産業省産業構造審議会臨時委員も務めている。

著者

株式会社ボルテックス 100年企業戦略研究所

1社でも多くの100年企業を創出するために。
ボルテックスのシンクタンク『100年企業戦略研究所』は、長寿企業の事業継続性に関する調査・分析をはじめ、「東京」の強みやその将来性について独自の研究を続けています。

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