「時」に愛されたワインたち~①100年を生き延びたワイン

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目次

著者

樹林ゆう子(亜樹 直)氏

実弟の樹林伸とユニットを組み、ペンネーム亜樹直(あぎ・ただし)として漫画原作を執筆。2004年から2020年まで、講談社モーニング誌上において、ワイン漫画『神の雫』を連載。独特なワイン表現で海外にも人気を博し、全世界で1200万部超をセールスした。09年、グルマン世界料理本大賞の最高位『Hall of Fame』に日本人として初受賞。 2023年より、山下智久氏の主演による仏英日の多言語ドラマシリーズ「Drops of God/神の雫」が世界各国で配信の予定。日本ではHuluにて独占配信予定。

人生100年時代といわれますが、健康で人生を楽しみながら100年を生きられる人間は、ほとんどいません。人間は「時」とともに生き、最後はその波に飲まれる存在なのでしょう。

かたや100年という時を、波に飲まれず生き続ける存在もあります。例えばこのサイトのテーマでもある老舗企業、建物、文化財、樹木……。いろいろありますが、「ワイン」もその仲間に入れてもいいのではないかと私は考えています。

ワインは、「時間」によって熟成を重ね、その価値を高めることができる唯一のお酒です。

例えば日本酒は、新酒が出ると新酒鑑評会や利き酒会などが開かれて盛り上がりますが、熟成させた古酒はあまり市場で見かけません。日本酒はイキのよさが魅力ですので、ワインでいえば、ヌーヴォーの状態で飲まれることがほとんどなのです。またウイスキーなどの蒸留酒は、瓶内で発酵しないので、時間経過による質的な変化がありません。古くなれば希少価値が乗ってきますが、エイジングにそれ以外の付加価値はないわけです。

ところが、ワインはまったく違います。

2018年、ニューヨークのオークションで1本55万8,000ドル(およそ6,000万円)という過去最高額で落札されたのは、1945年のロマネ・コンティでした。この年のロマネ・コンティは戦争の影響で600本しか作られなかったため希少性も高く、かつ1945年は20世紀最高のヴィンテージ(収穫年)であり、保存状態も保証されていました。それに第二次世界大戦終結の年というストーリー性も加わり、驚くべき価格になったのです。

しかしこのワイン、いってみれば77歳の「高齢者」です。「そんな年寄りワイン、本当に美味しく飲めるのか?」と疑問に思う方もいらっしゃると思います。

ですが、古酒の世界を長年探訪してきた自分としては、ロマネ・コンティ45年は間違いなく至高の味わいであり、もしかするとまだ「若い」と感じるかもしれないとさえ思っています。少なくともあと10年、20年は余裕で生き続けるはずです。

不思議なことですが、ワインは時間の経過とともに、渋味や酸味、果実味といった要素がひとつにまとまってきて、優美さ、そして複雑さを増していきます。もちろん品質にもよりますが、保存状態さえよければ50年、場合によっては100年経っても飲む人に感動を与えることができるのです。

ワイン漫画『神の雫』の原作を16年にわたり描き続けるなかで、私はフランス、イタリア、スペイン、アメリカ、日本と、世界のあらゆる産地のワインを飲んできました。ヴィンテージも、古くは19世紀から21世紀まで、まさしく古今東西のワインと出会ってきたのです。

そうした経験から確信できるのは「時」に愛されたワインは、間違いなく人に感動を与える、ということです。 

「時」の解釈はいくつかあります。ひとつは瓶のなかにおける長い熟成の「時間」であったり、樹齢100年の古木であったり、あるいは恐竜が歩いていた時代に作られた古い大地から生まれたワインであったり……。今回はそうしたなかでも、記憶に鮮明に残る「100年を生き延びたワイン」の話を書くことにします。

魔女のような“137年熟成”のワイン

新型コロナによる混乱の前、自由に世界を旅することができた2018年、私はシャトー・ラフィット・ロートシルトの城を訪問しました。ラフィットの名前はご存じの方も多いでしょうが、ボルドーの5大シャトーの筆頭であり、世界最高峰との呼び声も高い1級ワインです。

この偉大なシャトーは同年創立150年を迎え、大々的な周年記念イベントを開催、世界中からワイン評論家や有名生産者などが招待されました。そして日本からは私と弟が、フランスでも人気のワイン漫画原作者ということで、お招きを受けたのです。

『神の雫』第6巻に登場したシャトー・ラフィット・ロートシルト
主人公の神咲雫はラフィットの個性を「古城の端正で重厚な落ち着き」と表現した
『神の雫』第6巻に登場したシャトー・ラフィット・ロートシルト
主人公の神咲雫はラフィットの個性を「古城の端正で重厚な落ち着き」と表現した

イベントのメインは、大樽が並ぶラフィット城の地下の巨大なワインカーブでの垂直試飲会*でした。ここでは1934年から2010年までの優れた10ヴィンテージのワインを試飲して、各キュベの感想を記します。ところどころに蝋燭が灯された中世ヨーロッパさながらの荘厳なお城の地下で、ワイン界の重鎮たちに囲まれての試飲会は、私としてはかなり緊張しました。

垂直試飲会*:同じ生産者の同銘柄を、ヴィンテージ違いで複数比較する試飲会

ラフィット城のワインカーブでの試飲会 
ラフィット城のワインカーブでの試飲会 

試飲会のあとは、招待客全員が大テーブルを囲んでのディナー・パーティです。石造りの歴史あるダイニングで古典的フレンチのお皿とともに、ラフィットの輝かしいヴィンテージである1989年、82年、59年、55年、17年が続けざまにふるまわれました。

ラフィット城でのディナー・パーティ
ラフィット城でのディナー・パーティ

驚くべきことに、これらはどれもまったく劣化していませんでした。ヴィンテージによる性質の強弱はありながらも、ラフィットらしいしなやかな強靱さ、複雑さと華やかさは、通底するものがあるように思えました。

そして、ディナーの掉尾を飾る最後の1本としてうやうやしく出されたのが1881年のラフィット・ロートシルトでした。なんと、“明治14年生まれ”の超古酒です。

私は内心では「137年前となれば、長命なラフィットといえどもかなり老化しているだろう」と思っていました。というのも、このイベントの少し前に1900年のシャトー・マルゴーを飲む機会があり、そのワインは劣化はしていないもののピークアウトしていて、抜栓から30分ほどで砂の城が崩れるように輝きを失ってしまったのです。そのマルゴーよりさらに20年近くも古いとなれば、まともに飲める可能性は低い気がしたのでした。

ところが──。このラフィットは、グラスに注がれるや、たちどころに華やかな香りを放ち始めました。古酒の枯れたような香りとはまったく別物の、鮮烈なワインの香りです。

グラスを光にかざすと、色目は濃く鮮やかな紅色で、古いワインにありがちなレンガ色をまったく帯びていない。口に含むと複雑で、絢爛荘重であり、何よりも驚いたのは、脈動が聞こえてきそうなほどの強い生命力が伝わってきたことです。

ワインは移動や振動によって酸化(老化)する飲み物なので、シャトーの蔵から動いていないというのも大きかったと思います。また1881年のボルドーは暑く、力強いワインが生まれる年だったのでしょう。しかしそれにしても137年前とは……。

永い眠りから醒めて命を吹き返し、グラスの中から魔女のように妖艶な目線でこちらを見つめてくるようなこのワインには、ただただ圧倒され、ひれ伏してしまいました。

輝かしいヴィンテージのラフィットがふるまわれた
輝かしいヴィンテージのラフィットがふるまわれた

100年前の沈没船から生還したワイン

もうひとつ、記憶に深く刻まれた古いワインがあります。それは、とあるワイン会で出された1本で、ラベルも何も貼っていない、不思議な姿をしたシャンパーニュでした。

ヴィンテージも蔵元もわかりません。ただ、コルク栓は腐食しかかっており、とてつもなく古いことは確かでした。

「一体これはどこのメゾンのシャンパーニュなんですか」とワイン会の主催者に聞いてみると、

「これは第一次世界大戦中、ドイツの潜水艦Uボートによって撃沈された船に積まれていたシャンパーニュなんですよ」という答えが返ってきました。

その船、ジョンコピング号は1916年、ロシア皇帝ニコライ2世の命によって、フィンランドに駐留するロシア軍のために3,000本のシャンパーニュを輸送する途中、スウェーデン沖で沈没しました。

その後およそ80年もの間、64メートルの海底に眠っていたこの酒は、1998年に沈没船とともに引き上げられたのです。

船に積まれていたその他の酒、コニャックや赤ワインは完全に劣化していたそうですが、シャンパーニュだけは摂氏4度の安定した水温と、海底の水圧がシャンパーニュの瓶内ガス圧とほぼ同じだったことで、奇跡的に生き延びたとのこと。

「タイタニック号に積まれていたワインも、これと同じ銘柄の『エドシック・モノポール・ディアマンテ・ブルー1907』だったそうですよ。これは当時流行していた甘口のシャンパーニュで、糖分が多いため長熟だったことも生き残った要因かもしれません」

そんな説明を聞きながらグラスに注がれたシャンパーニュをみると、驚くべきことに、弱いけれどしっかり泡が立っています。

ジョンコピング号から引き上げられた『エドシック・モノポール・ディアマンテ・ブルー1907』のボトル
ジョンコピング号から引き上げられた『エドシック・モノポール・ディアマンテ・ブルー1907』のボトル
グラスに注がれたエドシック
グラスに注がれたエドシック

飲んでみると、ややエイジングしたような香りがあるものの、シャンパーニュならではの繊細さ、エレガントさは失われておらず、アプリコットや蜂蜜などのニュアンスも感じられます。海の底で、このワインはしっかりと生存し続けていたのです。

偶然にもこのワインを飲んだのは2016年、まさに沈没から100年目となる節目の年でした。

戦争と平和、生と死、破壊と再生──人間たちが繰り広げる100年間の物語を、このワインは海の底で静かに見つめてきたのでしょうか。そして世の中が変わり、20世紀になって、昔のままの姿で海から引き上げられた……なんともドラマチックな来歴ではありませんか。

私たちが生きる世界は恐るべき速さで時々刻々と変化していて、そのスピード感についていけない存在は、振り落とされ、淘汰されてしまうこともあります。しかし一方で、時を超えて生きることで、輝きを増す存在というのも確かにあるのです。

変化しないことにも、価値はある。「100年を生き延びたワイン」は、私たちにそのことを教えてくれている気がします。

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