新たなことにも臆せず進む、リスクをモノにする経営論
~ 30年後を見据えて行動するねじメーカーの挑戦~

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ステンレスのねじ一筋。長く実直に一つの領域で事業を営んできたトップシェアメーカーが大胆な経営戦略のもと業容を拡大し、総合ねじ部品メーカーへと成長を遂げています。静岡を拠点とする興津螺旋はどうして他の領域に打って出たのか。製造現場で働く女性「ねじガール」をなぜ起用し、どんな効果があったのか。社長の柿澤宏一氏に伺いました。

トップシェアの市場から軸足を移し新領域に挑戦

1939年に創業したねじ部品メーカー、興津螺旋は大胆な経営戦略を打ち出し、幾度となく転身を図ってきた企業です。新しい素材への挑戦、高難度なねじ加工への取り組み、製造現場で働く女性たち、通称「ねじガール」の起用。3代目である社長の柿澤宏一氏はリスクを取って独自路線を歩み、自社を総合ねじ部品メーカーへと導きました。いまではステンレス、チタン、合金鋼、ニッケル合金など多種多様な素材の加工ノウハウを備え、少量多品種から大ロットまで幅広く対応できる技術を誇っています。

しかし、柿澤氏の社長就任時は違いました。大量生産、大量販売によるスケールメリットで利益を上げる、非常にシンプルなステンレスねじの専業メーカーだったのです。

「主に建築用のステンレスねじをつくっていましたが、2000年代に入ると建築業界を取り巻く環境が変わってきました。人口も減り、消費税も3%から5%に上がって住宅需要は縮小に転じ、ねじの需要は少量多品種化が進みました。そうすると、新築住宅の市場には今後大きな成長は期待できないのではないか、当社は、この分野のステンレスねじではトップシェアを持っていましたが、それに甘んじていてはいけないと危機感を感じていました」

そうした不安に襲われながらも、高いシェアを持つ市場から新たな領域へと軸足を移すことができる企業はそう多くありません。しかし、柿澤氏はあえて挑戦の道を選びました。

「2005年に起きた構造計算書偽造問題で建築確認・検査が厳格化され、一時的に受注が30%ダウンしたのです。そこで、2007年からステンレスの穴付きボルトの製造を始めました。絶対に負けない分野を開拓しようと考えたんです」

ステンレスの穴付きボルトの開発には伏線があります。2005年、同社はある顧客から「チタン合金の穴付きボルトはできないか」という問い合わせを受けました。いきなりチタン合金ボルトを製造するのは難易度が高いため、最初にステンレスの穴付きボルトをつくり、それからチタン合金に取り組もうと柿澤氏は考えました。

ステンレスの穴付きボルトが完成したのは2007年の末のことです。翌年リーマンショックが起き、ねじ業界も例外ではなく、大きな打撃を受けました。しかし、同社はここで、完成したばかりのステンレスの穴付きボルトを果敢に市場に投入します。

このステンレスの穴付きボルトは以後、2桁成長を続け、今では同社売上の30%を占める主力商品となりました。顧客からの問い合わせに応え、まずは目標を掲げて自分たちができるところからチャレンジし、前に進んでいこうとする経営判断が奏功したのです。これは製品の高付加価値化にもつながり、大量生産・大量販売のビジネスモデルからも脱却に成功。結果的に長時間労働も是正されました。

自分たちのリスクで試作開発する

現状に安住せず、他社が追随できない領域で強いメーカーになる。柿澤氏の決意と行動は「強運」ももたらしました。

「ステンレスはねじ加工すればそのまま製品になりますが、合金鋼は熱処理・メッキなどの後工程が必要なため、それらの業者がなければ製品化できません。しかし、熱処理加工業のほとんどは関東、愛知や大阪に集中していてサプライチェーンがその地域で完結しているんですね。そのため合金鋼のねじはずっと実現できなかったのですが、2014年頃に静岡に熱処理加工業の会社が進出し、ついに合金鋼の穴付きボルトをつくれるようになりました」

同社は高難度とされるチタン合金のねじ加工も実現にこぎつけています。材料メーカーと技術的な交流を重ねて独自の仕様を追求し、さらに金型の設計や機械を改良し、試作を繰り返した結果です。材料、金型、機械、そして作り手のスキル。すべてが噛み合って高いハードルを超えたのです。

「お客様から新たな相談を受けたとき、どんなに難しそうでも断りませんし、『開発費用をもらえればやります』とも言いません。自分たちのリスクで試作開発することを徹底しています。期せずして開発に救われることも多く、諦めずにチャレンジすることがよい結果を生むのではないでしょうか」

現在、同社の穴付きボルトは多彩な分野で用いられています。自動車、ロボット、工作機械、半導体製造装置。ほかに、スポーツサイクルというニッチな用途向けのチタン合金の穴付きボルトや、人工衛星、発電プラントなどの装置に利用されているニッケル合金の穴付きボルトも好調です。

「こうしてチャレンジができているのも、2代目の父が財務で苦労をし、内部留保に力を入れてくれたから。収益と自己資本については恩恵を受けていると思います」

そう語る柿澤氏は、挑戦を続けながらもずっと借り入れなしの無借金経営を貫いています。

社内の上昇気流を生んだ「ねじガール」の活躍

柿澤氏の大胆かつ用意周到な経営の舵取りは「ねじガール」の起用にも見て取れます。「ねじガール」誕生は新卒採用における変化がきっかけでした。

「2012年度の新卒採用は結果的に女性だけになったことがあり、これからの時代は職種によって性別で線を引く採用には限界が来ると気づきました。翌年は現場志望の女性を採用する前提で、それまでに女性が働ける現場を整えようと考えていました。ちょうどそのとき、2012年度に採用した事務職志望の女性社員が製造現場での勤務を志望したんです。その方が当社の『ねじガール』1号です」

将来に向けて女性が働きやすい環境をつくる。この柿澤氏の強い意思が呼び水となって「ねじガール」を生み出したのかもしれません。

現在、「ねじガール」は9名。彼女たちが製造を担うことにより生まれたメリットはいくつもあります。ねじの不良品率が半減し、著しく品質が向上した結果、同社は自動車メーカーに直接納入する一次サプライヤー(ティアワン/Tier1)の品質監査をクリアし、同サプライヤーへの納入をスタート。拡大に至りました。ティアワンの品質監査をクリアすることは容易ではありません。それが可能になったのも、女性の意向を柔軟に受け入れ、体格や力の差を考慮して、電動リフトや長尺のレンチなどを導入し、現場で適切な指導を行うといった、同社の細やかな努力の賜物でしょう。

「入ってきた女性たちは真面目で有能。現場で働きたいという積極的な動機で入社してくるので、スタート地点のモチベーションがそもそも高いんです。7、8カ月で一定レベルに達し、機械を担当できるなど技術の習得も早いです。家族の理解を得て入ってきているというのも大きいですね。『ねじガール』は社内に上昇気流をつくってくれています」

その後、興津螺旋では管理・間接部門の女性社員も増加しており、そのほとんどが期待する成果をあげているといいます。同社ではさらに、社内全体で働きやすい環境整備も進めており、用事が終わったらすぐに業務に戻れる1時間単位の有休制度や、計画が順調に進んでいる部署であれば、部署ごと有休を取れる指定休暇制度も導入しました。

「これからは、働く人がむしろ、企業を活用してくれる会社を目指したいですね。今後も社員のために働きやすい環境づくりを進めていきたいと思っています」

興津螺旋は、事業戦略においても商品開発に関しても、そして働き方についても常に一歩先を行く企業であり続けています。

お話を聞いた方

柿澤 宏一 氏かきさわ こういち

興津螺旋株式会社 代表取締役社長

1972年生まれ。上智大学経済学部卒業。商社勤務を経て1996年に興津螺旋に入社。ステンレス製ドリルねじの研究開発に取り組み、営業担当、専務を経て、2007年3代目代表取締役社長に就任。座右の銘は「真善美」。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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