質の高さで顧客を魅了する、小岩井農牧の戦略
〜農林畜産業をベースに変わり続ける〜

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小岩井農場は100年以上にわたり、農林畜産業を中心に多角化事業を展開してきた6次産業のパイオニアです。日本を代表するこの総合生産農場を所有しているのが小岩井農牧。急変する時代の中で常にチャレンジャーとして新たな事業を切り拓いてきた同社の代表取締役社長・辰巳俊之氏に小岩井ブランドの継承策や展望をお聞きしました。

農林畜産業を基軸にした多事業展開

「小岩井」といえば、バターやチーズ、ヨーグルトなど、乳製品のイメージが強いかもしれません。しかし、同社では、酪農、種鶏、山林、環境緑化、観光、食品事業と6つの事業を展開。日本最大の民間総合農場として、農林畜産業を基軸に多彩な展開をしています。

いまでこそ第一次産業から第三次産業に至る6次産業化に取り組む例は珍しくありませんが、同社はそのパイオニア中のパイオニア。明治時代から畜産と林業を中心とした生産事業をベースに、製品やサービスを提供してきました。

その始まりは1891年にさかのぼります。「鉄道の父」と呼ばれた鉄道官僚の井上勝は岩手山の山麓に小岩井農場を開設しました。岩手山からの火山灰が堆積しているこの地にはいったい何を栽培するのが適しているのか。桑の葉、漆の生産など、井上は挑戦を続けますがいっこうに成果は出ません。赤字が止まらず、ついにはギブアップ。1899 年、井上に代わって農場を継承したのが、岩崎彌太郎の長男である久彌です。

現代表取締役社長の辰巳俊之氏は言います。

「アメリカのペンシルバニア大学で財政学などを学び、現地の広大な農業を直に目にしてきた久彌は、酪農と山林事業を農牧事業の基軸に据えました。小岩井農場が現在の道をたどり始めたのは、このときからです」

家畜を改良し、植林造成も本格的にスタート。1901年にはオランダからホルスタイン種牛を、イギリスからエアーシャー種牛を、そしてスイスからブラウンスイス種牛を輸入しました。その翌年からは、乳酸菌で丁寧に醗酵させた発酵バターの市販もスタートしています。

育馬事業にも乗り出し、1938年には小岩井農牧を設立しました。小岩井農場の運営母体の役割を担う会社です。

しかし、事業基盤がようやく固まりかけたそのとき、戦争によって同社は方向転換を余儀なくされました。

「戦前まで競走馬の生産事業を手がけていましたが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から農場の存続条件として育馬事業の放棄を突きつけられました。育馬は軍備につながるから危険だ、という発想だったようです。やむなく育馬事業から手を引き、創業以来継続してきた酪農や山林事業を強化しました。これが弊社にとっての2つ目のターニングポイントといえるでしょう」

主要事業を捨てざるを得ないのであれば、他の事業で生き残りをかけるしかない。厳しい経営判断の中、同社はさらに種鶏、観光、環境緑化、食品など、基幹事業である酪農や山林事業を中心に、小岩井ならではの製品やサービスを創出していきました。茨の道を切り拓いていったその過程で、多くの事業が実を結んだのです。

係数で強度や密度を明らかにする

辰巳氏が代表取締役に就任したのは2021年。同社としては初の、新卒入社で育ってきた社員からのトップです。

「入社理由は牛の世話をしたいという単純なものです(笑)。念願かなって酪農に携わり、その後、営業や輸入業務を経て、商品企画、経営企画へと移りました。社長になったときにまず思ったのは『とにかくこの会社をつぶすわけにはいかない』。そして、従業員を幸福にし、お客様にも幸福をお届けすることを心に刻みました」

2021年といえば、コロナ禍の真っ只中。やや収束した後も、円安の影響で事業には不可欠の飼料や燃料は値上がりを続けています。生産原価の上昇などを背景に生乳の生産量も減る傾向です。

外的環境は決して芳しいとはいえませんが、少しずつ好転の兆しも見え始めました。一つは山林事業です。アメリカではコロナ禍を機に住宅需要が高まり、木材市場が急拡大。日本への輸出が大幅に減った結果、国産材の需要が急増しました。強度や密度の高い同社の木材も注目すべきものです。

「強度や密度はすべて係数化しています。ハウジングメーカーと連携し、ツーバイフォーの部材にして納入していますが、今後は係数を明確な根拠として『小岩井の強い木材を使用している家』というストーリーを訴求し、ブランド化を図りたいですね。サプライチェーンの構築も進めていきます」

辰巳氏は東京のレストランの事業会社の社長をつとめていたときにも、日々、計数管理を行い、生産性アップに努めてきました。

「月締めではなく、毎日、店を閉めた後にその日の売上や客層分析を行い、分析結果をスタッフに共有してきました。最近ではレストランの数字が好転しており、週末の売上や客単価が着実にアップしてきました。こうした積み重ねによって、従業員の数字に対する意識も上がったようです」

岩手県にある小岩井農場は面積3,000ヘクタール。現在2,600頭余の牛を飼育している

他企業とのアライアンスでケミストリーを起こす

現在、同社は小岩井らしい商品開発に力を入れています。ブランド価値を毀損することなく、新しい価値を生み出すにはどうすべきか。ここには、酪農や山林事業とは異なる視点が必要です。

「私自身、商品開発の部署でレトルトカレーやクッキーなどの菓子類を開発してきましたが、小岩井の製品である以上、高品質でなければなりません。どんなにコストダウンを図りたくても、上質なバターにこだわる。その上で、新しい商品に仕上げていくプロセスが重要です」

同社は2001年には小岩井農場の中に製菓工場を開設し、2010年にはさらにハイエンドな乳製品をつくる専用の製乳工場を開いています。小岩井としてできること、そして、小岩井だからできること。小岩井の事業運営において、常に貫かれてきたこの視点を、辰巳氏は今も継承しています。

他企業とのアライアンス(企業間の提携)も注力している取り組みの一つです。環境緑化事業では、株主でもある三菱地所と連携し、丸の内パークビル・三菱一号館の広場の屋上や壁面、JP(東京中央郵便局)タワー6FにあるKITTEガーデンなどの緑化を手掛けました。

こうしたコラボレーションが可能なのも、社内に優秀な造園施工技術者と共に樹木のお医者さんである「樹木医」を抱えているからです。樹木医はデータや科学的知見を元に樹木を適切に診断する資格。老齢化した木は風情がありますが、倒木のリスクもあります。同社には、樹木の管理やメンテナンス、リスク対策を行うことのできる7人もの樹木のプロが在籍しています。

「三菱一号館広場では歴史的な植栽工事を行いました。両者の強みがうまく融合し、ケミストリーを起こせたと思います。これからも、他企業とのアライアンスを強化し、小岩井のブランド力を高め、売上創出を図っていく計画です」

小岩井のDNAをいかに浸透させて人材育成を図るか。これも辰巳氏が重視している点です。今年度からの中期経営計画では人材育成に大きくフォーカスしました。

「従業員たちみんなが、130年もの歴史を知っているわけではありません。そこで、『小岩井をよりよく知ろう』というスローガンを掲げ、改めて小岩井農場を学ぶ機会を設けています」

最後に100年企業を目指す中堅中小企業経営者へのメッセージをお聞きしました。

「現場力の高さは大企業にはない強みでしょう。スピーディな行動を取れるのも強みの一つ。私たちも常に自分たちの強みが損なわれていないか自戒しつつ、小岩井のブランドを未来につないでいきたいと思います」

(お話を聞いた方)

辰巳 俊之 氏(たつみ としゆき)

小岩井農牧株式会社 代表取締役社長

1981年日本大学農獣医学部卒業。同年小岩井農牧株式会社に入社。酪農事業、輸入業務、営業などを経て、2000年に経営企画に異動。2008年に取締役経営開発室長、2015年に常務取締役、2021年より現職。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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