企業の社会的価値に直結する大切な元手
目次
※本記事は「戦略経営者」2024年2月号に掲載された記事の転載です。
『文化資本の経営 これからの時代、企業と経営者が考えなければならないこと』
福原義春、文化資本研究会著
NewsPicks パブリッシング 1800円+税
昨年、資生堂名誉会長の福原義春氏が亡くなられた。享年90歳。福原氏は財界屈指の教養人として知られ、文化やメセナについて著書を多数執筆している。本書は1999年に出版され、それが四半世紀振りに復刻されたものである。
本書には「文化は資本」という、当時としては極めて斬新な考えが示されており、今の企業経営で言うところのパーパス、サステナビリティー、ESG、人的資本など、多くの現代的視点が含まれていることに驚かされる。資生堂はその企業理念の中心に「美」を据えているが、そこには福原氏のDNAが脈々と受け継がれているのを感じる。福原氏と同世代なのが、ソニーの社長・会長を務めた大賀典雄氏である大賀氏が声楽家からソニーの経営者に転じたことは有名だが、軽井沢町に大賀ホールを建てて町に寄贈するなど、文化振興でも多大な功績を残した。
森ビルの実質創業者だった森稔氏も同世代で、文化は都市生活に必須の構成要素であると考え、都市開発に文化的な要素を積極的に導入した。「文化都心」というコンセプトで2003年にオープンした六本木ヒルズの最上階に森美術館などの文化施設を据えたのもその一環であった。
その一世代下が、ベネッセホールディングス名誉顧問の福武總一郎氏である。社名の「ベネッセ」はラテン語の造語で、「よく生きる」という意味であり、福武氏の文化に対する思いが伝わってくる。1992年、安藤忠雄氏の設計によるベネッセハウス・ミュージアムを開設、更に地中美術館や李禹煥美術館をオープンした。こうした活動が瀬戸内国際芸術祭の開催につながり、今では直島は「現代美術の聖地」と称されている。
日本では、80年代のバブル時代に経営者がこぞって海外の芸術品を高値で買い取り、バブル崩壊後はその損切りを余儀なくされた。その中の幾つかはまだ企業の手元に残っており、丸の内や大手町界隈の伝統的大企業の役員応接に行くと、驚くような名品が飾られているが、もはやそれらが日の目を見ることはない。
国の経済規模に比して日本の文化芸術活動は今ひとつ盛り上がりに欠ける。時代が変わり、企業オーナー自らがイニシアチブをとらないと世間への説明が難しいのかもしれない。更に下の団塊の世代以降は、もはや文化とビジネスは完全に切り離されてしまい、ビジネスパーソンが文化や教養を語ることもなくなってしまった。
今、盛んに人的資本ということが言われているが、文化資本も重要な「資本」である。単なるメセナ的な観点だけではなく、文化資本というのは企業価値あるいは企業が生み出す社会的価値に直結するものである。つまり、文化資本というのは単なる慈善活動ではなく、さまざまなステークホルダーと企業がつながり、そのパーパス(企業の社会的存在意義)を実現することを通じて、企業価値や社会的価値を高めていくための、重要な元手(資本)なのである。
著者
堀内 勉
一般社団法人100年企業戦略研究所 所長/多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長
多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長。東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。
現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。
主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
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▶2024年1月号掲載
本の歴史には人類1100 億人の人生が凝縮されている
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※本記事は「戦略経営者」2024年1月号に掲載された記事の転載です。
『人生を変える読書 人類三千年の叡智を力に変える』
堀内勉著
Gakken 1,650 円(本体価格1,500 円)
本書は評者自身の新著である。2021年の新型コロナ禍の中、『読書大全』という人類の歴史に残る名著をまとめた本を出したが、その前書きに記した読書の意味を、できるだけ多くの人々に伝えるために、より分かりやすく書き起こしたものである。両書を通じて訴えたかったのは、読書というのは人間のバックボーンを構築するための、そしてこの不確実で不透明な時代を生き抜くための貴重なツールだということである。
本を読まない人生というのはあまりにももったいない。自分で本を書いたことがあれば容易に理解できると思うが、そこには膨大なエネルギーと時間が費やされている。本1冊の文字数は10万字から15万字位である。それを半年から1年位かけて執筆する。それが1冊1000円から2000円程度で手に入るのだから、ある意味で奇跡とでも呼べるような存在である。
本の中で伝えたかったことを、実際の会話を通じて何千、何万という人に伝えようと思ったら、計り知れないほどの時間がかかってしまう。逆もまたしかりで、直接著者の話を聞きたいと願ったところで、それが実際にかなう可能性は殆どない。ところが、本を通してであればそれが容易にかなうだけでなく、既にこの世にはいない著者との会話も可能なのである。
「歴史は繰り返さないが韻を踏む」というのは、マーク・トウェインの言葉だと言われている。歴史上全く同じことは起こらないが、歴史には一定のパターンがあるという意味である。これは個人のレベルでも同じで、われわれ人間は、古来から同じような喜びや悲しみや悩みを抱えて生きてきた。人類誕生以来、その数は累計で1100億人程度と推計されているが、そうしたたくさんの人生が、本の歴史の中に凝縮されている。古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』を読んでみれば、その中で語られる悩みと、今自分が抱えている悩みが少しも違わないことも分かってくる。このように、本というのはいつでも好きな時に読者の側にいてくれる友とも呼べるような存在なのである。
「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」というのは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの言葉だが、この知的好奇心こそが人類を生態系の頂点に押し上げたのである。そして、その背景には文字の発明がある。文字や本を通して情報を共有することで、複雑な社会の運営が可能になり、自然を克服するための知識を共有することも可能になった。この先、われわれ人類は一体何をなすべきなのか、どこに向かうのか……そうしたことを考えられるのも、文字や本があればこそなのである。
最後に読書術的なことをひとつだけ言えば、「好きな本」を手に取るところから始めたら良いと思う。アリストテレスが言うように、人間には生来、知的好奇心が備わっているのだから。「好きこそ物の上手なれ」と言うが、他人の尺度で本を選ぶのではなく、まずは自らの好奇心の導きに従って読書を始めてみてもらいたい。