食器からファインセラミックスまでつくる、有田焼の香蘭社
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設立140余年の有田焼の窯元、香蘭社。伝統様式にとどまることなく、有田の多様な文様を集大成し新しいスタイルを創り上げました。一方で、有田焼の技術や知見を活かしつつ、まったく異なる新規事業を立ち上げ、軌道に乗せています。これまでの挑戦の軌跡と今後について、代表取締役社長の深川祐次氏に伺いました。

有田焼と同じ材料で碍子(がいし)を製造

香蘭社の歴史は1689年(元禄2年)、初代深川栄左衛門が肥前有田(現在の佐賀県有田町とその周辺地域)で陶磁器製造を始めた頃にさかのぼります。香蘭社として設立されたのは1875年(明治8年)。古伊万里、鍋島、柿右衛門という有田焼の3つの様式を融合させた華麗で優美なスタイルを確立し、時代の流れや人々のライフスタイル、感性を満たすモノづくりを続けてきました。1878年のパリ万国博覧会での金賞受賞をはじめ、海外で数多くの栄誉に輝き、世界的にも高く評価されています。

そうした有田焼の技術と知見を活かし、香蘭社では複数の新規事業を立ち上げ、会社の「柱」を育て上げてきました。その一つが、電線の絶縁や支持に使われる碍子の製造事業。会社設立の5年前にスタートしたこの事業について、代表取締役社長の深川祐次氏はこう語ります。

「それまで、日本では欧州から輸入したガラス製碍子を使っていました。ところが、『コストは高いし、質もよくない。何とかならないか』、と工部省電信局の依頼を受けたのが弊社の第八代・ 深川栄左衛門です。焼き物と同じ材料を使って、国内で初めて磁器製の電信用碍子の製造に成功しました」

1870年当時、日本は欧米諸国にキャッチアップしようと政府主導で殖産興業政策を推し進めていました。工業化のためにも社会基盤の整備のためにも電力の安定供給や通信網の確保は欠かせません。そこに寄与したのが香蘭社の製造した碍子です。すでに同社の売り上げの割合は、碍子事業が約4割を占め、食器製造を有する美術品事業をしのぐ主要事業に成長しました。もっとも、現在この市場は、後発の大手企業がかなりのシェアを持つ寡占状態。そこで香蘭社はポリマー碍子でシェア拡大を図っています。

「15年前にポリマー碍子を手がけていた日立化成さんから事業を譲り受けました。陶器製に比べかなり軽量なので、電力会社や鉄道会社での作業効率も上がっています。再生エネルギーの利用がさらに進めば送電網へも広がると見ています」

軽量かつ耐衝撃性、耐汚損性に優れ、設置作業をも容易化するなど、ポリマー碍子にはいくつもの利点があります。この先、再生エネルギーの市場が拡大することは確かでしょう。そうなればポリマー碍子の需要がさらに膨らむはずです。

EVやパワー半導体に使用されるファインセラミックスを開発

香蘭社では、1970年代からさらに新しい事業に着手し、挑戦を続けています。

「将来性を見込んでファインセラミックスの研究に乗り出しています。いろいろな素材を試してみましたが、自然界にない原料を化学的に処理するため、なかなかうまくいかなかった。あるときにたどり着いたのが、熱に強く摩耗しにくいボロンナイトライド(窒化ホウ素)です」

当時、副社長だった深川氏は、高温にも衝撃にも摩耗にも強く、質も安定しているボロンナイトライドの可能性に魅了され、開発を続けました。最初に完成した製品は、溶鉱炉の温度計を高温から守る保護管です。

しかし、見込み客である溶鉱炉メーカーを営業して回った結果、需要がそう多くないことがわかりました。仮に採用されてもマーケット自体が小さいのです。深川氏は方向転換を図り、ボロンナイトライドの特性を他の製品に応用する道に踏み出しました。

セラミックスの原料となる、窒化ケイ素や炭化ケイ素、窒化アルミなどを窯で焼成するとき、高温になりすぎないように調節しなければなりません。それならば炉壁の温度上昇に備え、熱に強いボロンナイトライドで「(さや)」をつくり、その中で焼成をしてみてはどうか。深川氏のこの読みは見事に的中。こうしてファインセラミックスは電気炉部材、電子部品組立治具などの消耗品として供給され、最近では時代の花形産業であるEV(電気自動車)やパワー半導体にも活用されています。ファインセラミックスの売上比率は全体の3割。同事業の伸びは今後も必至でしょう。

挑戦なくして成果は得られません。材質や焼成に関する豊富な専門知識と技術を踏まえた上での果敢な挑戦が、同社を時代の波に乗せ、進化させたのです。

体験の場を増やし、多能工化で人材を育てる

一方、香蘭社の礎を築いた、有田焼を基にした食器などの美術品市場の環境は芳しいとはいえません。1980年代後半のバブル景気で爆発的に売り上げが伸びたものの、その後は一転して落ち込み、有田焼全体の売り上げはピーク時の6分の1から5分の1程度になっています。

結婚式の引出物といったブライダル需要にも往時の勢いはありません。一方でインバウンド需要が増えてはいますが、以前ほどの人気や数字回復には至らず、厳しい戦いを迫られています。

しかし、ここでも諦めることなく可能性を探り、新たな市場を開拓しています。例えば、今は葬儀の際に遺骨を納める「骨壺」に着目して力を入れています。簡素な葬儀が増えてきたとはいえ、骨壺を使用しない場面はありません。桜や胡蝶蘭など多彩な意匠を施した骨壺を提案し、売り上げを順調に伸ばしています。葬儀は質素に、しかし骨壺は故人に似合う、工夫を凝らしたデザインで。そんなご遺族の考えとマッチしているのかもしれません。近年は終活として、ご自身で骨壺を用意されることも増えたといいます。自分の骨壺を準備しておくことは縁起がいいとされ、人気なのだそう。

海外に向けての美術品販売にも注力しています。2019年には北米最大規模のライフスタイル・ギフト関連見本市「NY NOW」に出展し、「ピンストライプR  1客カップ&ソーサー」が「Tabletop+Gourmet Housewares」部門で最優秀新商品グランプリを受賞。その勢いに乗り、中国に子会社を設立しました。縮小していく日本市場から海外へ――。円安を追い風に、中国をハブにした同社の海外展開はこれからが本番です。

2021年には新ブランド「by koransha」を立ち上げました。

「長崎の波佐見(はさみ)焼がリーズナブルな価格と使いやすいデザインで人気を集めています。われわれの有田焼も上質感は残しつつ、カジュアルに普段使いのできるブランドを用意したいと考えました。2024年はホテルやレストランへの販売、インテリアデザインの展示会にも出展し、認知度を上げていきたいと思います」

海外への美術品展開や新ブランドの立ち上げを行うにあたり、会社の理念を深く理解してくれる人材の採用や育成も欠かせません。しかし、モノづくり業界は高齢化が著しく、なにより職人気質な人が多く、時代遅れという固定観念が若い人を遠ざけています。

「若い方には、『職人は頑固で偏屈だ』というイメージを持つことが多いようですが、実際に工房体験をされると『フランクだった』『イメージが一変した』とおっしゃいます。そうした声をもっとPRしつつ、体験できる機会を増やし、興味をもってもらいたいと思います」

若手志望者を募集すると同時に、深川氏は従業員の多能工化を進めています。生地から焼成、絵付けなど複数の工程を3〜4年間ほど経験し、15年経てば全工程を一通りこなせるような人材を育成する計画です。

「技術や技能の属人化はもう通用しません。若い人に多くの経験を積んでもらいたいと思います」

香蘭社は2025年には設立から150年を迎えます。深川氏はこれから先の未来をどう描いているのでしょうか。

「これまでもやってきたことですが、今使っている原料を調達し続けられるのか、鉱脈はあっても高齢化によって掘る人が減るのではないか。そうした実態を知るためにも常に現場に出向き、生の声を聞いて対応していきたいと思います。世の中の流れを敏感に感知し、次の100年に向かっていきたいと思います」

安泰・安住の地はどこにもありません。未来を築くのは模索し、挑戦を繰り返す主体的な行動のみ。 伝統工芸を守りながらも変革を起こしている香蘭社の未来は、きっと、われわれの予想を超えた展開になっているに違いありません。

お話を聞いた方

深川 祐次 氏(ふかがわ ゆうじ)

株式会社香蘭社 代表取締役社長

佐賀県出身。東海大学工学部卒業。日本マクドナルド株式会社に勤務した後、1987年に株式会社香蘭社入社。同社営業部、香蘭社商事電力事業部などを経て、1997年、香蘭社・香蘭社商事の取締役に。2007年に香蘭社グループ6社を合併し、株式会社香蘭社に統合。13年より現職。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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