リーダーに「教養」を求める企業が急増する背景
上智大学・曄道学長「教養は個性や志を育む」

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※本記事は「東洋経済オンライン」に2024年6月6日に掲載された記事の転載です。

現在、学校のみならずビジネス社会においても「教養」がブームとなっている。そもそも「教養」とは何か。なぜ「教養」が必要なのか。

3万5000部のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏が、上智大学学長で、産学協働の学びの場である「上智大学プロフェッショナル・スタディーズ」を立ち上げるなど、新たな試みに取り組んでいる曄道佳明氏に、教養と大学のあり方や社会人に対する教養教育について話を訊いた。

堀内 上智大学では、学長である曄道先生が中心となって、産学協働の学びの場を創成する新たな試みとして、「上智大学プロフェッショナル・スタディーズ」を立ち上げられました。最初に、この新たな試みの背景として、現在の大学教育の問題点や、今なぜ教養教育が求められるのかといったお話からお聞かせいただけませんでしょうか。

曄道 プロフェッショナル・スタディーズという、教養講座を通じて、ビジネスの前線で活躍されている方々に対して、「学びの場」を提供することが必要だと感じたのは、現在の大学教育のあり方に疑問を感じたことが大きな理由です。上智大学も例外ではありませんが、教養科目の単位というのは大学の1年生で多くを取って、2年生の前半ぐらいまでにだいたい取り終えてしまうことが多い。

大学の1年生という、高校を卒業したばかりの学生たちが教養教育的な科目群を学ぶとなると、だいたいその科目群は「○○入門」的な内容になっているケースがほとんどです。そもそもそれが教養科目のあり方としてよいのかということを疑問に思っていました。

大学に戻って「教養」を学びたい

それとは別に、様々な企業や国際機関のトップの方たちと話をしていると、多くの方たちが、また大学に戻って勉強したいと言う。最初は、私が大学の人間なので社交辞令かと思ったのですが、皆さんそうおっしゃるし、何を学びたいのかと尋ねると、歴史や哲学、上智の場合だったら宗教を学びたいとおっしゃるんですね。

そのような考えを持つに至ったのは、おそらく、経営の最前線に立って、上位の意志決定や経営手腕を発揮される際に、教養が問われる場面を数多く経験されたからだと思います。大学時代の初期に教養教育ですといって入門的な講義を履修し、その後の専門課程では教養的なものに触れることがほとんどないまま社会に出て20年、30年が経ち、いよいよ経営の中枢に、となったとき、はたと教養の必要性が感じられる。こうした声を多く耳にして、日本の社会における「教養の空白期」の問題に向き合わなければと思うようになりました。

そもそも教養というものは、自分自身の志や信念を生み、それを維持、支えるものだと考えます。それは、ビジネス世界においても、新たなビジョンの策定やプロジェクトの推進などの際に、その着想や構想を支えるものは何かというと、やはりその人の持つ教養であって、単に現場での成果やスキルだけがそれを支えることはありません。

そうすると、組織をまとめる立場に立った際に、求められる価値や能力の源泉が教養であるということを自覚しないまま来ているというのが、今の日本の教育の問題点であることは明らかです。こういった問題意識から、仕事に活きる教養がすぐに身に付くということでは必ずしもないかもしれませんが、「教養」を学び直すことで、そのことを発揮する訓練の場というものが作れればというのが、プロフェッショナル・スタディーズを着想したきっかけです。

「基盤教育」という概念を導入

堀内 ありがとうございます。今のお話で社会人教育の場としてプロフェッショナル・スタディーズを立ち上げられた背景はよくわかりましたが、大学の学部についても改革に取り組まれているのでしょうか。

曄道 いまお話ししたように、大学は長きにわたって社会で生きていくための基盤を築く場であって、学びの最終の場ではないという考えに立って、2022年度から「基盤教育」という概念を導入しています。具体的には、全学共通科目といういわゆる教養科目群について、3年生、4年生になっても、たとえば哲学に触れることができる。あるいは現代リテラシーの1つであるデータサイエンスについては、すべての学部1年生で必修とし、2年生以降では必要性に応じて3年生、4年生にかけて知識、応用を積み上げていくことができる。そういった履修プログラムを採用しています。

上智大学では、現在の学生は3年次に少なくとも4単位は教養教育の科目を取らなければなりません。この「取らなければならない」というのはあまり好きではないのですが、社会を生きていく上で必要となる、様々な知に触れることが大切というメッセージを学生たちに与えたいという考えから、全学の教養教育は低学年だけでは終わらないようにしました。

堀内 私は大学を卒業後、銀行からの海外留学を経て、外資系の証券会社で働くことになったのですが、周りはみなビジネススクールやロースクールで学んだという人ばかりでした。しかし、意外だったのは、学部では歴史や哲学を専攻していたという人が多かったことです。インベストメントバンクに行くからビジネススクールで経営の勉強をしたけれども、本当に勉強したかったのはそれではないという人が多くて、同じ先進国でこんなにも違うのかと思っていました。

それで40歳のときにISL(Institute for Strategic Leadership)というエグゼクティブ教育の学校――今は至善館という大学院もつくっていますけど――のリーダーシップの講座を受講し、その後、51歳の時に東大のエグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)を受講しています。おおまかに言うと、20歳を少し超えたところで学士を取って、30歳の少し手前で修士を取って、40歳でエグゼクティブ・プログラムで学んで、50歳で再度エグゼクティブ・プログラムを受講し直して、さらに60歳でもう一度学び直そうと思いましたが、さすがに60歳で行けるようなよい学校もなくて。それで自分で本を書くことで学び直そうと思って『読書大全』という本を執筆しました。

ということで、私の場合、10年に一度ぐらいまとめて勉強する機会をつくり、自分の頭のOS(オペレーティングシステム)をアップデートすることを意識的に行ってきたのですが、同じような危機感を持っている人はあまりいなくて、友人も同じ会社の中で偉くなることしか考えていないという人がほとんどでした。ですから、曄道先生のイニシアティブで社会人の学びの場を創造しようという試みは素晴らしいことだと思っています。

曄道 ありがとうございます。2022年度からその基盤教育という概念の下で教育システムが稼働することになりましたが、構想は私が学長になってすぐに立ち上げていますので、6年目にしてようやくここまで来たという感じです。

堀内 曄道先生が経済同友会に参加されたことは、上智大学の基盤教育や社会人教育といった構想の実現と関係しているのでしょうか。

曄道 基盤教育という概念の中に教養的なものをどう位置づけるかを考えたときに、やはり経済界の中で何が議論され、何が課題として扱われているのかを意識しました。とりわけ経済同友会は経営のトップたちが来ていますから、企業や経済社会を動かしている人たちが、いま何を感じているのかを知らずに、大学側の視点からだけで社会人向けの学びの場を創造することはよくないだろうと考えました。

「三方よし」の学びの場

堀内 社会人向けの学びの場ということでは、私もプログラム・コーディネーターとして、上智大学のプロフェッショナル・スタディーズの一環として「知のエグゼクティブサロン」を主宰していますが、従来型のプログラムでは、著名な学者や経営者、起業家など、いわゆるすごい講師たちが、自らの成功談を語って聞かせるケースがほとんどでした。

私は、こうしたプログラムを「ダウンロード型のプログラム」と言っていますけれども、本当にそれでよいのかと思っています。たとえば、大谷翔平の野球の試合を見にいって、大谷がホームランを打つのを見てすごいなとは思っても、自分が大谷になれるとはとても思えないからです。結局、すごい講師のプログラムでは、話を聞いた直後はアドレナリンが大量に出て、「今日はいい話が聞けて充実した時間だった」となるのですが、その先につながらないのです。言うなれば、お金を払って一流のスポーツや演劇を観にいく感覚ですね。

そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」は完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、リソースパーソンも我々コーディネーターも一緒にディスカッションをしながら学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場から積極的にアウトプットします。近江商人の「三方よし」という言葉がありますが、まさに三方よしの学びの場にしたいと考えたのです。

お互いが様々な道で、異なる人生を生きてきて、何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。教育とは言わずに「サロン」という名称にしている理由もここにあります。いわば、一流のコンサートを高いお金を払って聴きにいくのではなく、一緒にカラオケに行ってお互いに学び合いましょうという感じです。

それともう一つ、「知のエグゼクティブサロン」を上智大学で行っている理由があって、それは上智大学15号館の存在です。これも曄道先生の主導の下、プロフェッショナル・スタディーズ用に15号館という木造の新しい建物を建て、そこを学びの場としている。私はデベロッパーの出身なので、場の重要さというのは仕事で身にしみて理解しているつもりです。学ぶためには、コンテンツを充実させるだけではダメで、場がすごく重要なんですね。

アメリカのビジネススクールなどは、その辺りはとてもセンシティブで、私自身、森ビルでアカデミーヒルズの担当役員をしていたときには、ビジネススクールの先生たちとそうした場づくりの議論を随分させていただきました。

曄道 堀内さんがおっしゃった「場が重要」ということは私も全く同感で、そもそも大学とは「場」であるべきだと思うんです。人が集まり、そこで議論が起こって、そこから何かが生まれるかもしれないという期待感に満ちた場であるべきなのです。

ところが、いまの大学は学生の数も多くなって、空間的にも窮屈なものになってしまっている。なので、少しでも昔のヨーロッパの大学のような、知が交錯する、そういった雰囲気を備えた場が欲しいという思いから15号館をつくりました。

設計者は教室をつくると思っていましたので、当初出てきた設計に対して、私のほうからいろいろ注文を付けた記憶があります。いや、つくりたいのは教室ではなくて、知が交錯する場なんだということを繰り返し説明しながら、何とか完成に至りました。

30社近い企業が「教養教育」に賛同

堀内 いまプロフェッショナル・スタディーズには40近い講座があるとお聞きしましたが、基本はスポンサー企業の社員が受講するかたちになっているのでしょうか。

曄道 もちろん個人で参加されている方もいますけれども、アドバイザリーパートナー企業会員さんとスタンダード企業会員さんに属する方が圧倒的に多いです。

堀内 企業の会員の方々はどういった問題意識で参加されているのでしょうか。

曄道 会員企業の社長、副社長はじめ役員の方々、あるいは人事責任者の方と話をし、認識を共有したのは日本のキャリア形成や教養教育はグローバルスタンダードではないということでした。

さらに、教養というものを考えたときに、豊かな教養が人間同士の信頼関係の重要な基盤となるのであって、ビジネスで厳しい交渉事を行う人たちにとって、教養はとりわけ大切な要素であるにもかかわらず、日本の教育現場ではそのことが軽視されているという、私が危機意識として感じている点についても認識を共有できました。

堀内 最近はコスパ重視の社会になっていて、ゴールが明確で、これを学ぶとこういう効果があるといったプログラムが人事部門では受けがよいようですが、教養はこれとは逆で、すぐには効果が表れる類のものではないと思います。この点、どのように企業との対話でクリアされているのでしょうか。

曄道 その点に関しては、実際にコスパ的なお話をされる企業の方もいらっしゃいます。先ほども述べましたが、人間どうしの信頼関係というのは、その人のスキルやお互いの損得だけで成立するわけではなく、やはり教養という人間の軸が問われる部分が大きいと思っています。この信頼関係の構築と教養の大切さについて共感いただいた企業の皆さんが参加してくださっています。

しかし私は、ある程度、共通の目的を持つ人たちが集まったほうが、そこで何かが生まれると期待できると考えていますので、これを肯定的に受け止めています。現在のところ、30社近い企業に賛同いただいていますが、これは当初の私の期待を超えるものです。

堀内 最後に「教養とは何か」について、改めて曄道先生のお考えを聞かせていただけませんでしょうか。

曄道 教養とは何かという問いは、かなり哲学的な意味を持つ問いだと思いますが、私なりの解釈を申し上げると、たとえば教養という言葉は大学の中で使われるときに、なぜか「一般教養」という言い方をされることが多い。どうして「一般」という名称を付けたのだろうかと思うのですが、そこは「一般」ではなく、「個」としての教養であるべきだと。

教養とは個性を育むもの

先にお話ししたことですが、教養とは、志を生んだり、信念を貫く一つのエネルギーになったり、あるいは新しい着想に向かったときに駆使するものであったりというように、その人自身の行動の支えになるもので、まさに教養が個性を育むと言ってよい。

したがって、教養とは何かという問いに対する答えは、「創造的な応用力を導く智力」と表現したいと思います。その智力とは、個性を育み、志を生み、他者との関係性を築き、創造的な仕事を生むという、極めて高度な応用力を導くものであると考えます。一人の人間にとって、まさに社会で生きる基盤と言えるでしょう。

知のダウンロード型では不十分ということは、最初に堀内さんとお話をしたときから意気投合した点で、最近の若い人たちは知のダウンロードを行うと、それは情報として取り込まれてしまって知識にはならないと。情報を知識にするということは、その情報に対する解釈が必要になるわけですが、その人が教養として身に付けたものや、その人の経験の積み重ねがあってはじめて解釈ができるようになるのです。

そういう点からも、教養とはけっして若い時期に座学として学ぶだけのものではなく、社会に出てからも様々な経験を通して継続的に深めていくべきものと考えています。

堀内 よくわかりました。いろいろ貴重なお話をありがとうございました。

お話を聞いた方

曄道 佳明 氏(てるみち よしあき)

上智大学学長

上智大学学長。学務担当副学長、グローバル化推進担当理事補佐等を経て、2017年より現職。慶應義塾大学大学院理工学研究科博士後期課程機械工学専攻単位取得満期退学、1994年博士号(工学)を取得。専門分野は機械力学、振動工学、機構学。文部科学省中央教育審議会(大学分科会)臨時委員、同大学設置・学校法人審議会(大学設置分科会)特別委員、一般社団法人日本私立大学連盟 副会長、公益財団法人大学基準協会 理事、特定非営利活動法人国際教育交流協議会(JAFSA) 会長。

堀内 勉

一般社団法人100年企業戦略研究所 所長/多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長

多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長。東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。 現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。 主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
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※本記事は「東洋経済オンライン」に2024年6月6日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら

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