「'絶望'から立ち上がった人間」は、なぜ強いのか
30代「人生のどん底」で得た'絶対的確信'とは?

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※本記事は「東洋経済オンライン」に2023年8月1日に掲載された記事の転載です。

現在、学校教育のみならずビジネス社会においても「教養」がブームになっている。その背景には何があるのか。そもそも「教養」とは何か。

ベストセラー『読書大全』の著者であり、「教養」に関する著述や講演も多い堀内勉氏が、教養と生きることの意味について論じる、好評シリーズの第5回。

前回の記事「'大哲学者'が問い続けてきた『生きることの意味』」で、「あなたにとって、『どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと』とは何ですか?」と問いかけると、ほとんどの人は即座には答えられないと書きました。

実は私からそう尋ねると、「それでは、先生にとっての『どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと』とは何ですか?」と聞き返されることが多いです。

自分が尋ねた質問に、自分自身が答えられないというのも具合がよくないので、今回はそれについて書いてみようと思います。

あまり詳しく書いて私小説のようになってしまうと本筋を外れますので、ここでは要点をかいつまんでお話しします。

「人生のどん底」を経験した30代

拙著『読書大全』の中でも書きましたが、私は1997年に始まる、日本経済のバブル崩壊に端を発した未曾有の金融危機に巻き込まれ、公私ともに非常に苦しい30代を過ごしました。

仕事で追い詰められ、家庭は崩壊し、心身ともに打ちのめされ、3カ月ほど家に引きこもっていたことがあります。

前回、フランクルの『夜と霧』を題材に、私たちはつねに「生きる」という問いの前に立たされており、それに対してどう答えるかが私たちに課された責務なのだということを述べました。

でも、その頃の私は、なぜ自分だけがこんなひどい目に遭うのか、なぜこんなことになってしまったのかと、ひたすら自分の身に降りかかる不運を嘆くばかりでした。

自分と真摯に向き合うことなく、ただただ、自分の外側にその「原因」と「責任」を求め続けていたのです。そのような私の姿を見て、配偶者も含めて多くの人たちが周りから離れていきました。

当時の私は孤独の中に閉ざされていました。

「自分がなぜ働いているのか?」
「自分は何のために生きているのか?」
「自分は本当は何がしたかったのか?」

そうしたすべてのことがわからなくなっていました。

そして、そこに残されたのは、ただ人生に対するむなしさと後悔だけでした。

詩人のダンテは、35歳のときに暗い闇の中へ迷い込みます。『神曲』の第一部「地獄篇」の冒頭には、次のような一節があります。

「人生の道の半ばで
正道を踏み外した私が
目をさました時は暗い森の中にいた。
その苛烈で荒涼とした峻厳な森が
いかなるものであったか、口にするのもつらい。
思い返しただけでもぞっとする。
その苦しさにもう死なんばかりであった」

私もダンテと同じように、完全に道を見失い、誰も知らない暗く遠いどこかさまよっていました。

闇に閉ざされていたこの時期の私には、世の中の景色すべてが灰色に見えていました。とても不思議な感覚なのですが、色の区別はついても、それが色彩感覚としては感じられないのです。

恐らく、精神がうつ状態の中で、色の美しさを受け入れる感覚が麻痺していたのだろうと思います。認識論における、カントのコペルニクス的転回を思い起こさせるような話ですが。

世界から色が失われた経験をしたことがない人には中々理解しがたいかもしれませんが、参考までに1つのエピソードを紹介しておきます。

大滝詠一の名曲に込められた「思い」

シンガーソングライターの大滝詠一の名曲に、『君は天然色』があります。

1981年にリリースされた『A LONG VACATION』というアルバムに収録されているもので、私はずっとこの曲を単なるラブソングだと思っていました。

ところが実際はまったく違っていて、「モノクロームの想い出に色をつけてくれ」という意の歌詞は、作詞家の松本隆が、病弱だった妹を心臓病で亡くしたときに書いたものなのだそうです。

妹が倒れて入院したときに松本が大滝に電話すると、アルバムの発売が遅れても仕方がないから気長に待つよと言ってくれたこと、それから数日後に妹が息を引き取ったこと、妹の最期を看取った後に歩いた渋谷の街が色を失ってモノクロームに見えたこと、そして、そのショックから立ち直るのに3カ月ほどかかったこと、こうした経緯を松本自身が新聞の手記の中で記しています。

このように、人は大きな精神的ショックを受けると、見るものすべてから色を失ってしまうことがあるのです。

私の場合、何がきっかけで色を取り戻したのかは覚えていません。

でも、これまで述べてきた本や言葉の力も借りながら少しずつ生きる気力を取り戻し、久しぶりに散歩に出かけたある日、突然、世界から色が戻ってきたのです。

陽気がよかったせいか、あるいは太陽の光がいつになくキラキラと輝いていたからなのか、その理由は今でもわかりません。

いずれにしても、モノトーンの世界に一気に色が戻ってくる感覚は感動的であり、そのときに、私が今ここに生きているのは自分一人の力ではなく、何か自分を超越した大きな力によって生かされているのだという強い確信を抱きました。

「科学で実証できないもの」の存在

「確信」という意味で、あれほど強い思いを持ったことは一度もありません。そこに科学的な証明が介在する余地はないのかもしれませんが、その「生かされている」という実感は、私にとっては何物にも代えがたい「真実」でした。

これが、私にとっての「どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと」です。

そんなものは単なる思い込みだろうと言う人もいるでしょう。そうかもしれません。そうではないかもしれません。でもこれが、今の私が生きるうえでの基軸になっていることだけは確かです。

ここで、アメリカの天文学者で、NASA(アメリカ航空宇宙局)の惑星探査の指導者だったカール・セーガンのベストセラー小説『コンタクト』について紹介しておきたいと思います。

このSF小説は、1997年にジョディ・フォスターの主演で映画化されています。彼女が演じる主人公のエリナー・アロウェイ博士(愛称エリー)は、9歳のときに最愛の父を亡くします。母はすでに、彼女を出産したときに亡くなっていました。

葬儀の際に牧師が、お父さんは神の御心で天に召されたのだよと言ってエリーを慰めるのですが、その存在を実証できるもの以外は一切信じなかった彼女は、その言葉も信じようとしませんでした。

「我々はなぜここにいるのか? 我々はいったい何者なのか?」――この答えを求め続けて大人になったエリーは、プエルトリコにあるアレシボ天文台で、異星人から届く電波の探査に従事します。

その後、予算不足からアレシボ天文台での研究の中断を余儀なくされたエリーでしたが、謎の大富豪ハデンの助けを借りて、ニューメキシコの超大型干渉電波望遠鏡群で探査を再開します。

そして、ついにヴェガ(こと座α星)から届く電波信号を受信し、異星人からのメッセージの解読に成功します。

その祝賀パーティーの席上で、エリーは恋人であり科学至上主義に異議を唱える神学者のパーマーと次のような会話をします。

エリー「存在しない神を人間が作った。拠りどころを求めて」
パーマー「でも僕は神のいない世界は考えられない。考えたくもない」
エリー「思い込みじゃないの? 私は証拠がないと……」
パーマー「証拠か。パパを愛してた?」
エリー「え?」
パーマー「君のパパだよ」
エリー「ええ。心から愛してたわ」
パーマー「証拠は?」
エリー「!!……」

ここでエリーは言葉に詰まってしまいます。実証主義者のエリーにとっては、虚をつかれる質問だったからです。

「なぜ人間はここにいるのか」

その後、解読されたメッセージに含まれていた設計図をもとに、アメリカを中心とした国際プロジェクトとして、ヴェガへの空間移動装置(ポッド)が建設されることになります。

エリーはポッドの乗務員に志願しますが、生きて帰れるかどうかわからないエリーの身を心配するパーマーと、次のような会話を交わします。

エリー「誰もが危険だと思ってる。候補者もそれは十分理解したうえよ」
パーマー「なぜだ?」
エリー「歴史的なチャンスだから」
パーマー「君自身の動機だよ!命を懸けようとしている。死んでも構わないと。なぜだ?」
エリー「物心ついた頃から考えていたわ。なぜ人間はここにいるのか? いったい何をしているのか? いったい何者なのか? その答えが一部でも見つかれば……命を懸ける価値があると思わない?」

こうして、彼女の「知りたい」という強い思いは、どこまでも彼女を突き動かしていきます。

ところが、公開選考会でパーマーの質問によってエリーが無神論者であることが明らかになり、それを理由に選考から外されてしまいます。

しかしその後、1号機の事故による失敗を経て、結局、エリーは2号機の乗務員に選ばれます。そして、ついにポッドに乗って26光年離れたヴェガに移動して、異星人との対話という神秘的な体験をすることになるのです。

ところが、エリーの18時間にも及ぶ体験は、地球時間にしてわずか1秒ほどにしかすぎず、ヴェガに行ったことは証明できなかったために、実験は失敗だったとされてしまいます。

そして、その責任を問う公聴会が開かれ、ヴェガに行ったという体験は幻覚だったと思うかと質問されたエリーは、次のように答えます。

「幻覚だった可能性はあります。科学者としてそれは認めます。(中略)経験したのは確かです。証明も説明もできません。けれど私の全存在が事実だったと告げています。あの経験は私を永遠に変えました。宇宙のあの姿に、我々がいかに小さいかを教わりました。同時に、我々がいかに貴重であるかも。我々は、より大きなものの一部であり、決して孤独ではありません。そのことを伝えたいのです。そして、ほんの一瞬でもみんなに感じてもらいたい。あの畏敬の念と希望とを」

目指すものは「真理の探究」

公聴会が終わったあと、エリーに寄り添うパーマーは、記者団から「(エリーの証言を)信じますか?」と聞かれて次のように答えます。

「科学と宗教との違いはありますが、目指すものは同じ真理の探究です。私は彼女を信じます」

この映画では、「信じる」とは何かが問われています。

科学や宗教、政治、ビジネスなど、私たちはそれぞれの立場でそれぞれが信じる世界を生きています。

でも、私たちにとっての「真実」とはいったい何でしょうか? そして「信じる」とは。

私たちはどれだけ世界のことを、そして自分自身のことを「わかって」いるのでしょうか? 何もわからないのだとすれば、そもそも私たちは何を信じて生きていけばいいのでしょうか? 私たちはそこに、共に生きていくための何らかの共通の基盤を見いだすことができるのでしょうか?

この問題については、また次回以降で考察してみたいと思います。

著者

堀内 勉

一般社団法人100年企業戦略研究所 所長

多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学社会的投資研究所所長。 東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。 現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。 主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
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※本記事は「東洋経済オンライン」に2023年8月1日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら

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