日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳
大正・昭和時代の「教養」は何を目指していたか

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目次

※本記事は「東洋経済オンライン」に2023年7月4日に掲載された記事の転載です。

現在、学校のみならずビジネス社会においても「教養」がブームになっている。その背景には何があるのか。そもそも「教養」とは何か。

ベストセラー『読書大全』の著者であり、「教養」に関する著述や講演も多い堀内勉氏が、教養について論じるシリーズの第1回目。

世にあふれる「教養」という言葉

今、学校教育のみならず、社会人教育の場においても盛んに「教養」が語られ、この言葉を聞かない日はありません。

岸田文雄内閣が「新しい資本主義実現会議」を立ち上げて以降、「資本主義」という言葉が盛んに聞かれるようになったのと同じような状況です。

「教養」と名のつく本も山のように出版されていて、「教養としての〜」というのが、今や本を売るための1つの枕言葉のようになっています。

私自身も教養についての講演を頼まれることが多く、特に読書とひも付けて教養の重要性について話す機会が増えています。

私の近著『読書大全』の中では、リベラルアーツの歴史を解説するところで教養についても触れていますが、そこでは教養そのものについては深く論じていません。教養について語るのであれば、それだけで独立した本になってしまうほど大きな題材だからです。

ただ、そうは言っても、教養について話しながら、自分自身で「そもそも教養って何だろう?」と思うことがあります。

私の中では、教養についての一定の思いはあるのですが、それが世間一般で言われている教養とどう違うのか、そもそも世間では教養はどう理解されているのかといったことを突き詰めてはきませんでした。

しかしながら、世の中でここまで「教養」が語られるようになると、一度この問題はきちんと整理しておいたほうが良いだろうと思うようになりました。そもそも教養とは何かがわからなければ、なぜそれが大切なのかを説得力をもって論じることができないからです。

考えれば考えるほど教養というのは奥が深く、単なる知識や学歴といった表層的なものではなく、私たちが人生を生きる意味そのものに関わってくる重層的かつ広がりがある問題だということがわかってきます。

そこで、この東洋経済オンラインの場で、これから教養に関するさまざまなテーマを整理していきたいと思います。

それではまず、「教養とは何か?」という問題を整理したうえで、次に私が考える「教養」とは何かを論じるところから、この連載を始めたいと思います。

日本語の「教養」は、中国語の同じ「教養」という言葉から来ています。「教」は「教える」で、「養」は「育てる」ですから、直訳すると「教育」ということになります。

中国語の「教養」という言葉は基本的には日本語と同じ意味ですが、「教育」により重きが置かれています。

つまり、高級官僚を登用するための試験制度であった科挙の権威を背景に、四書五経(「論語」「大学」「中庸」「孟子」「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)を学ぶことや漢詩に通じることなど、幅広い学問分野の知識を獲得することを意味していました。

これに対して、日本語の「教養」は、社会的な素養や品位、人間性の形成など、倫理的な価値観などにより重点が置かれた使われ方をしています。

たとえば、日本語で「あの人は教養がある」といえば、学問に裏づけられた人柄の奥行きや、洗練された立ち居振る舞いや会話を意味していて、そこには単なる知識以上の人間的な評価が含まれています。

「教養」は「文化」「芸術」の語源

西洋の歴史に目を転じると、「教養」に相当するギリシア語は「パイデイア」(paideia)で、「子供(pais)が訓練によって身につけたもの」という意味です。

これは教育そのものを意味するだけでなく、教育の結果である「教養」「文化」「文明」「伝統」などを含む幅広い概念です。

ちなみに、「教養」を英語で表現するのは難しいですが、「カルチャー」(culture)や「カルティベーション」(cultivation)という言葉になり、これは「心を耕すこと」を意味します。

また、ドイツ語では「ビルドゥング 」(Bildung)と表現され、これは「形成すること」を意味します。

古代ギリシアの教育は、この「パイデイア」という自由人の教育と、「テクネー」(techne)という職人や奴隷の教育に分かれていました。

「パイデイア」 は、人間として普遍的な知識を身につけることで精神を深め、人生を豊かにすることを目的とした自由人の教育でした。

これに対して、ギリシア語のテクネーには、絵画、彫刻などの諸芸術をはじめ、医学、建築など人間の制作活動全般が広く包含されていました。

このテクネーは、ラテン語の「アルス」(ars)、英語の「アート」(art)に対応します。

英語の「テクニック」(technique)は実践的・具体的なものですが、「アート」は創造的な表現活動を広く含んだ総称です。

これを日本語では「芸術」と訳しますので、言語が変わるたびに少しずつニュアンスが変化していると言えます。

日本で「教養」と言えば、まず欧米流のリベラルアーツ教育や旧制高校での教養教育が思い浮かぶと思います。

それでは、この2つは「パイデイア」と同じものを意味しているのでしょうか。あるいは別のものを意味しているとすれば、それぞれの関係性はどうなっているのでしょうか。

英語の「リベラルアーツ」(liberal arts)は、ラテン語の「アルテス・リベラーレス」(artes liberales)に由来します。これは、ギリシア語の「エンキュクリオス・パイデイア」(enkyklios paideia)をラテン語に訳したものです。

「エンキュクリオス・パイデイア」は、「円環的に配列された科目による人間教育」を意味しますが、これがラテン語になった段階で、「人間を自由にする技芸」を意味するようになりました。

リベラルアーツというのは、古代ギリシア・ローマに源流を持つ自由七科(septem artes liberales)のことです。

上述のとおり、古代ギリシアでは、自由人である市民と彼らに仕える奴隷が分けられ、自由人として生きていくためには一定の素養=教養が求められ、それは手工業者や商人のための訓練とは区別されていました。

これが、古代ローマにおける自由の諸技術と機械的技術の区別に引き継がれ、さらにローマ時代末期の5世紀頃、キリスト教の理念に基づいて、7つの教科としてまとめられました。

西洋中世における「大学の起源」

中世において神学・法律・医学を学ぶ専門教育が確立した際に、それらを学ぶ前に履修すべきものとして自由七科を集大成したのがヨーロッパの大学です。

中世の大学には、上級学部として神学、法学、医学が置かれ、その前段階として論理的思考を教える哲学がありました。

さらにその前段階にあったのが、主に言語に関わる三学(文法学、修辞学、論理学)と、数学に関わる四科(算術、幾何学、天文学、音楽)からなる自由七科でした。

それが、「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識)の基本」として、19世紀後半から20世紀のヨーロッパの大学制度において、現在のリベラルアーツになったのです。

現代でもこのリベラルアーツ教育の伝統を守っているのが、アメリカの東海岸に多く見られる、アマーストカレッジ、ウィリアムズカレッジ、ウェルスリーカレッジといった教養教育専門のリベラルアーツカレッジです。

その最大の特徴は、学生が幅広い教養を身につけることを目的とした「全人教育」にあります。

アメリカ最古の高等教育機関はハーバード大学ですが、同校が当初はリベラルアーツ教育を行う小規模な大学として設立され、その後、大学院を持つ大規模な研究型大学に移行していったのに対して、いくつかのリベラルアーツカレッジは今もその伝統を守り続けています。

日本では、戦前の旧制高校から1970年代まで続いた大学文化の中に「(大正)教養主義」というものがありました。

そこでの「教養」というのは、ドイツのフリードリヒ・ヘーゲル的な「ビルドゥング」の影響を強く受けたものでした。

ヘーゲルは、『精神現象学』の中で、教養というのは、生まれながらの素朴な生から離れて、より高いレベルでの一般的知識を手にすることだとして、次のように語っています。

「教養のはじまりとはつまり、実体的な生の直接的なありかたを離脱しはじめようとつとめることである。それがはじまるのはつねに、さまざまな一般的な原則と立場にかかわる知識を手にすることによってであるほかはなく、なによりもまずことがら一般にかんして思考されたものへと向上しようとつとめることによってである。」

 ヘーゲルは、こうした精神の自己運動を「ビルドゥング」と呼んでいます。ドイツ語の「ビルドゥング」というのは、個人が自己を理解し、内面的に成長し、豊かな人間性を獲得するためのプロセスを指し、そこには自分で身につけるというイメージがあります。

人間は、「ビルドゥング=自己の形成」を通して自己実現が可能となり、さらなる人間的成長を遂げるということです。

さらにヘーゲルは、個人と社会の発展は密接に関連しているとして、個人が「ビルドゥング」を通じて自己を形成し、社会との関係を築くことで、より高度な精神(絶対精神)へと進化すると考えたのです。

戦後日本で起こった「教養主義論争」

戦後の日本では、教養の意義を巡って教養主義論争が起きました。

最大の論点は、教養を積むことが人格形成に意味があるかどうかで、意味があるとするのが「人格主義的教養主義肯定論」です。

これに対して、教養を積むことと人格形成とは別物だと考えるのが「人格主義的教養主義否定論」です。

社会学者の竹内洋は、『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』(中公新書)の中で、教養というのは、読書を通して知識を得て、人格を陶冶し、社会を変革することだとしています。

そこにあるのは、マルクス主義を学び、『世界』や『中央公論』などの雑誌を通して教養を身につけることが、自分の幸せと社会の進歩につながるという考え方です。

こうした「教養=ビルドゥング」という理解が大学文化の中に浸透し、日本の教養主義と人格主義の時代を生きた人たちは、カントやヘーゲルなどの啓蒙主義哲学を知識として学ぶだけでなく、その生き方のモデルとしたのです。

しかしながら、教養主義はこのように多くの学生や教員たちに共有されたにもかかわらず、感受性や主観に重きをおいたロマン主義と同じように、具体的な社会変革の設計図を描くには至りませんでした。

日本的な教養主義が手本にしたドイツでは、他の国に見られるような身体作法や礼節は重視されず、教養を身につけることは人間的に成長することであるとされ、内面の成熟に重きを置いていたこともその一因です。

上述の竹内は、1970年代後半以後に教養の輪郭がぼやけて教養主義が衰退した原因は、「新中間大衆社会」という社会構造の変化にあるとしています。

つまり、ホワイトカラーだけでなくブルーカラー、自営層、農民までを含んだ新中間大衆の文化は、隣人と同じ振る舞いを目指し、すべて高貴なものを引きずり下ろそうとする、フリードリッヒ・ニーチェが言う「畜群」(衆愚)道徳に近いものだったのではないかというのです。

日本で「教養主義」が失われた理由

この点について、私なりにその背景を考えてみると、ひとつには、日本社会は太平洋戦争と学生運動における2つの「敗戦」という大きな挫折を経て、全体として哲学や思想的なものに対する信仰が失われていったということがあると思います。

またその反動として、日本が国家を挙げて経済成長に邁進したことで、大学における教養教育自体が形式化・形骸化してしまい、専門課程への単なる通過点にすぎなくなってしまったということも挙げられると思います。

つまり、高度成長期以降は、「教養主義」に代わって「資本主義」が日本人の支配的思想になっていったということです。

この資本主義と教養の問題は、広がりが大きい課題ですので、また次回以降で詳しく検証してみたいと思います。

著者

堀内 勉

一般社団法人100年企業戦略研究所 所長

多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学社会的投資研究所所長。 東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。 現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。 主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
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※本記事は「東洋経済オンライン」に2023年7月4日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら

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