戦後創業のアウトドア用品店が100年企業を目指して下した決断~日本用品佐藤義朗代表インタビュー【前編】

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コアな山好きに愛されるイタリアの登山靴ブランド「LA SPORTIVA(ラ・スポルティバ)」。その日本総代理店を半世紀以上にわたり務めるのが、日本用品株式会社(東京都)です。
前身は1951年創業の「山とスキーの店ニッピン」。登山家やスキーヤーに親しまれた本格アウトドア用品店でした。そこからなぜ、海外ブランドの輸入販売業に特化する道を選んだのか。そして、100年企業に向けたビジョンとは。元日本テレビアナウンサーで、2022年に父の跡を継いで代表に就任した佐藤義朗氏に聞きました。

山好きの憧れのブランド「ラ・スポルティバ」

「日本用品」という社名を聞いても、多くの方はピンとこないでしょう。ただ、山登りやトレッキングが趣味の方なら「ラ・スポルティバ」というブランドの名前は聞いたことがあるかもしれません。

「LA SPORTIVA(ラ・スポルティバ)」は、イタリアのアウトドアブランドです。8,000メートル級の山を目指すための本格的な登山靴から、高尾山のような低山を歩くハイキングシューズまで幅広いカテゴリーを展開しています。

とりわけ本格志向の登山家に愛好家が多く、エベレストに登山する人のほとんどはラ・スポルティバの黄色いブーツを履いているといわれます。ある登山雑誌のアンケートでは10年連続で「いずれ買いたいブランド」の1位に選ばれています。

また、近年ではスポーツクライミングシューズのトップブランドとしても知られています。パリオリンピックで銀メダルを獲得した安楽宙斗選手、4位入賞の森秋彩選手を始め、多くのトップクライマーがラ・スポルティバのシューズとともに世界で戦っています。

私たちは半世紀以上にわたり、ラ・スポルティバの日本総代理店として、同社の製品を輸入・販売してきました。もう一つ、アウトドアソックスの「Calze GM Sports(カルツェ ジーエム スポーツ)」も含めたイタリアの2ブランドの製品を、全国の専門店やスポーツ店にお届けしています。

もっとも、古くからの山好きやスキー愛好家の中には、「ニッピン」という名前のほうをご記憶の方もいると思います。かつては東京・秋葉原や神田小川町などで、「山とスキーの店ニッピン」として小売店を営んでいました。その小売事業からは2020年に完全に撤退し、前述した2ブランドの輸入販売業に特化しています。

私は2022年5月まで、日本テレビでアナウンサーを務めていました。同年12月に先代の跡を継ぎ、社長に就任しています。

大きな転機となった、世界的登山家との出会い

終戦直後の1951年、東京・秋葉原に小さなアウトドア用品店が産声を上げました。創業者の祖父が、米軍が残していったテントや寝袋、軍用の靴などをリメイクし、アウトドア用品として売り出しました。

以来、「山とスキーの店ニッピン」は本格的なアウトドア用品店として登山家やスキーヤーの方々に親しまれていきました。山の道具はもちろんですが、スキー関連の商品もかなりの量を取り扱っており、多くのお客様に信頼をいただいていました。

祖父は、かなり早い段階から海外に目を向けていた人物でした。1960年代、まだ日本人がほとんど足を運んでいなかったヨーロッパの見本市に直接出向いては、現地の商品を直接買い付けていました。
そんな中、スイスの見本市で出会ったのが、ラ・スポルティバでした。その高い技術力に惚れ込み、1969年に同社とのパートナーシップを締結。輸入販売を開始します。

もう一つの転機は、1975年。登山家のラインホルト・メスナー氏との出会いです。

メスナー氏は、世界に14座ある8000メートル峰のすべてに、人類で初めて登頂した人物です。しかも無酸素で、です。サッカー界でいうペレのような、登山界を象徴する存在といっても過言ではありません。その偉大な登山家と、日本の小さなアウトドア用品店を営む日本人が、なぜかアドバイザー契約を結ぶことになった。

彼との出会いは、ビジネス的にも大きな転機となりました。彼の要望を取り入れて開発した「メスナーテント」はたいへん好評をいただき、「ニッピンといえばメスナーテント」という、当社を代表するヒット商品になりました。
今でも、メスナーテントを愛用している方から修理のお問い合わせが来るほどです。お受けできないのが心苦しいのですが……。

当社の保管資料の中に、メスナー氏の手書きのスケッチが残っています。当時はメールなどない時代で、手紙でやり取りをした形跡もある。言葉も文化も違う双方が書簡を交わしながら理想のテントを形にしていったわけです。その「本物」を追求しようとする思いが、筆跡からしのばれます。

100年企業を目指して「長いほうを残そう」

それから時は流れ、バブル期のスキーブームも終焉。2000年代の後半にはリーマンショックもありました。

小売の世界では大きな資本を持つメガチェーンが勢力を拡大し、街の専門店は少しずつシェアを奪われていきます。ニッピンも、まさにその一つでした。ライト層向けのキャンプブーム、アウトドアブームの波も押し寄せ、コアなお客様に向き合ってきたニッピンの経営は厳しさを増していったと聞きます。

そして、2017年に秋葉原の本店を閉店。2020年には神田店を閉店し、小売業から完全に撤退。69年にわたる歴史に幕を閉じました。

ここで、一つの問題が生じました。
当時、グループ内には二つの会社がありました。祖業であり小売業を営む日本用品と、輸入販売業を行うために設立したスポルティバジャパン。前者は伯父が、後者は父が社長を務めていました。ところが前者は、小売業を畳んだことで事業の実態がほとんどない状態となりました。
この2社を、どう整理するか。通常なら日本用品を廃業し、スポルティバジャパンに吸収合併する選択をとると思います。ところが、伯父、父をはじめ親族間で話し合った結果、日本用品の屋号と法人を残し、スポルティバジャパンを消滅会社とする合併を行ったのです。

「長いほうを残そうよ」——それが理由でした。せっかく70年間バトンをつないで、お客様にも親しまれてきた「ニッピン」の名前を社名として受け継ごう。そして、100年を目指していこう。その結論に至ったのです。

イタリアのファミリー企業に見る気骨

小売店としての歴史には幕を閉じましたが、一方でラ・スポルティバ社とのパートナーシップは、今日まで50年以上にわたり続いています。

ラ・スポルティバは1928年、北イタリアのドロミテの山間で創業したブランドです。創業地周辺は林業が盛んな土地で、バイオリンのストラディバリウスの材料を供給している地域でもあります。ラ・スポルティバも、もともとは林業の作業靴を作っていたブランドでした。

同社のクライミングシューズは、ほぼ99%をイタリア本社に併設された工場で作っています。地元の女性たちがミシンで縫い、最後はソールを手でぐっと巻き付ける。バレエのトゥシューズのように人間の足の形に沿った緻密な造形で、機械ではなかなか作れない、高度な技術が詰まっています。

クライミングブームが到来して国内外から複数のスポーツブランドが参入しましたが、そのいくつかは撤退していきました。これだけの技術力が高い参入障壁になっているのです。世界を見渡しても、クライミングシューズを本格的に手がけているのは10社に満たないと思います。

もう一つ、私がラ・スポルティバのアイデンティティーだと思っているのが、創業家のデラディオ家が一貫してオーナーであり続けていることです。
近年のアウトドア業界でもM&Aが進み、大きなグループの傘下に入る有名ブランドが増えています。その中にあってラ・スポルティバは、創業家による独立経営を守り続けています。

だからこそ、一過性のアウトドアブームにも揺らぐことなく、頑なにプロユース志向を貫いている。技術力の高さもさることながら、そういった気骨のあるところに祖父も、先代の伯父と父も惹かれるものがあったのだと思います。そのような企業と3代にわたり長いつながりを持てているのは、当社にとっても大きな強みだと感じています。

100年の節目も、同じスタッフで迎えられるように

前述したとおり、私は2022年に日本テレビを退局し、先代の会社を継ぎました。

ただ、私が社長になったからといって、何かをドラスティックに変えるという意識はありません。それよりも、まずは私自身が会社と、会社を支えてくれるお客様やパートナーをよく知ること。そして、3年、5年をかけて土台を整えること。この2点に注力しています。

その土台を整えた先に、どう手を打つか。正直、まだ明確な答えが出ているわけではありません。
ラ・スポルティバというブランドは、もっと大きくなる可能性を秘めていますし、今はすべてのリソースをそこに割くべきだとも思っています。一方で、一つのブランドに依存するのでなく、次の柱を見つけないといけない。でも、やみくもに手を広げ、売り上げを伸ばすという話はしたくありません。

規模や売り上げ以上に、強く思い描いている未来があります。今いるスタッフはそのままに、一緒に100年という節目を迎えたい。

会社員から経営者に立場が変わって、会社に参画してくれ、働いてくれるスタッフのありがたさを、本当に感じるようになりました。だからこそ、25年後もできるだけ同じ顔ぶれで笑っていられるように。それが、私の願いです。

こんなふうに考えるようになったのは、前職での経験と無関係ではありません。何百人ものスタッフや演者が関わる番組を、一日でも長く続けるために——テレビの現場を去るとき、私は先輩たちからいくつもの言葉を受け取りました。その言葉が、今日の私を支えているのです。(後編に続く)

お話を聞いた方

佐藤 義朗 氏(さとう よしあき)

日本用品株式会社
代表取締役

1985年東京都生まれ。アウトドアスポーツ用品の製造・輸入・販売を行う日本用品株式会社の創業者一家に生まれる。慶應義塾大学商学部卒業後、2008年日本テレビ放送網へ入社。アナウンサーとして情報番組「シューイチ」「ZIP!」のほか、主にスポーツ報道の現場で活躍。2012年のロンドン五輪以降、6度のオリンピック競技大会の実況アナウンサーとして、各競技の知識とリポート技術を基に貢献。2022年12月に日本用品株式会社代表取締役に就任。

[編集]一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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