ムダを許す風土が100年を支えた ~企業の懐の深さが次の道をつくる~

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機械工具類の輸入商社として1903年に創業し、その後、工作機メーカーへと転身した碌々産業は、微細加工機のリーディングカンパニーへと成長を続けています。環境や技術の変化に対応しながら、グローバルニッチトップを体現する同社代表取締役社長の海藤満氏にお話を伺いました。

超精密な微細加工機が必要な時代が来る

ニッチな分野で高い技術力を誇り、世界市場において揺るぎない地位を築く。中小企業のひとつの理想形を具現化しているのが1903年に創業した碌々産業です。国内に工作機メーカーがまだ存在しない時代にその輸入商として誕生した同社は、顧客の要望に応える形で自社製工作機械の製造に着手。1912年に米国バーンズドリル社と技術提携して国産第1号となるボール盤機を開発し、卸からメーカーへ転身しました。

1962年には仏国ヒューレ社との技術提携のもと、万能フライス盤の製作をスタートした同社は、その3年後にさらなる転機を迎えます。4代目社長の海藤満氏は振り返ります。

「NASAがちょうどNC(数値制御)を発明した頃でした。国内大手メーカーの担当課長から『日本の工作機にもNCを付けよう』と声がかかり、国内で初めてNCボール盤を開発しました」

同社の技術力の高さに着目したオファー。それを受け入れて挑戦し、実現にこぎつけた同社の行動力はその後も遺憾なく発揮されます。1974年にはプリント配線基板加工専用機RPDシリーズを発表し、1993年にNEOシリーズを開発して、これが大ヒットを記録したのです。

しかし、80年代後半に入ると部品加工機分野に大手メーカーが続々と参入。大量生産という武器を前に、価格競争に巻き込まれてシェアを奪われる危機に直面した同社が選んだ道は、微細加工と独自に位置付けた加工機の開発でした。

「ウォークマン®が発売されたのは1979年。このとき、私は企画室に在籍していましたが、大きな衝撃を受けました。従来の大がかりなステレオ装置がなければつくれなかった音を、あのサイズで実現しましたからね。これは大変なブレークスルーだと感じました。いずれ、手の中に入る大きさの機器装置が求められるようになる。そうなれば必ず、超精密な微細加工機が必要になるとひらめきました」

※「ウォークマン®」はソニー株式会社の株式会社の登録商標または商標です。

機械と技術をかけ合わせ、高い付加価値を創出する企業へ

海藤氏の直感を形にした同社初の微細加工機MEGA-360が誕生したのが1996年。しかし、2年間は鳴かず飛ばずだったといいます。

「全国を回り、20カ所の展示会に出展しましたが、反応はゼロ。幸い、その前に発売していたプリント配線基板加工専用機がよく売れていたので、なんとか救われていました。その後、工夫を凝らし続け、発売から3年目にようやく売れ出したのです」

さらにリーマンショックが世界を襲った2008年、売り上げの低迷からある決断を迫られます。これまで同様に汎用機を軸足にするのか、あるいは微細加工機に重点を置くのか。同社が出した回答は後者でした。

「企業の存亡をかけてニッチトップ戦略に方向転換しました。微細加工機であれば国内に競合はなく、世界を見渡してもヨーロッパに2社ある程度でした。ただし、ニッチトップ戦略の追求には人材の育成が不可欠だと考えました。今後は機械に加えて優れた加工技術を備えた人材を育て、お客様の困り事を解決できる企業を志そうと決意しました」

たとえ、他社には再現できない小さな穴を開けられる機械があったとしても、高精度で穴を開けられる工具や環境に加えて人材がいなければ意味がありません。碌々産業が目指したのは、機械と技術にオペレーターの感性をかけ合わせ、高い付加価値を生み、顧客の利益に貢献するソリューションカンパニーです。

この決意は確かな実を結びます。北米のA社の製品の鏡面仕上げに関するコンペに参加したときには、専用の工具をつくり、与えられた「面粗度(部品の加工面の状態を表す尺度)はRa20ナノメートルを切ること」という非常にシビアな条件を見事にクリアし、Ra18ナノメートルを実現。晴れて、33台もの微細加工機の受注を獲得しました。JAXAの小惑星探査機「はやぶさ」の姿勢制御用エンジンノズル加工にも同社の微細加工機が使用されています。

「おむつメーカー用に特別仕様の微細加工機を開発して納入したこともあります。おむつはノズルの穴の形状によって風合いが変わります。それには微細加工機の技術が欠かせません。大阪造幣局でつくられている500円玉に圧印されている『00』の部分は角度を変えて見ると『500円』の文字が浮き上がりますが、これも弊社の微細加工機を活用したもの。代表的な製品である微細加工機MEGAを市場ニーズに合わせて、お客様と細かくすり合わせながらカスタム仕様に仕上げることで、1社での導入実績がすでに200台を超え、事業規模も2倍超に拡張しているケースもあります」

ムダや失敗を許す環境がイノベーションを生む

人材に懸ける同社の強い思いは、3年前にスタートした「Machining Artist ®」(マシニングアーティスト)の普及活動にも見て取れます。

「マシニングアーティストとは、微細加工に対して優れた感性や鋭い気づきを持つ技術者や技能者を指す言葉です。さらに、そうした人たちの模範になる人をエキスパート・マシニングアーティストと呼び、機械、工具、CAM(加工用のソフトウェア)に加えて、温度管理など環境面についても厳しく制御できる人材を指しています。毎年、推薦状などでエントリーいただいた中から、厳しい選考で規定の5つの条件を完全に満たした技術者だけが、エキスパート・マシニングアーティストに認定されます。その数はすでに110名に達しました。アーティストとしたのはイノベーションを起こせるクリエイティブな人材であることを世に浸透させたかったからです。日本はモノづくりがベースの国であり、微細加工は日本人の性格にも向いている魅力ある仕事です。優秀な人材を招き育てて、弊社のみならず、業界全体の底上げをはかっていきます」

コアの技術を中心に、環境の変化に対応し、新しい技術を取り入れながらイノベーションを生み出す碌々産業。海藤氏はイノベーションを生み出すには「ムダ」や「遊び心」が必須だと語ります。

「たくさんの失敗があって初めてイノベーションが生まれます。そのためには、『失敗してもいいよ』『まずはやってみよう』と上司が声かけできる、いわばムダや失敗・遊び心でのチャレンジが許される環境が必要です。すべて成功しなくても、そのうち3つか4つでも当たれば、そこからオンリーワンになれます。ただし、ニッチを極めていくと市場はどんどん狭くなりますから、そこはグローバル化で解決すべきでしょう。弊社も売り上げの70%は海外です。グローバルニッチトップこそ中小企業が生き抜く道であり、企業が長く存続する秘訣ではないでしょうか」

得意分野を深堀りしたニッチで高精度な技術。挑戦を促し、失敗を認める社風。そして高い環境適応力を武器に挑戦を続ける碌々産業からは、これからもたくさんのイノベーションが生まれるに違いありません。

※「Machining Artist ®」(マシニングアーティスト)は碌々産業株式会社の登録商標または商標です。

お話を聞いた方

海藤 満 氏

碌々産業株式会社 代表取締役社長

新潟県生まれ。1978 年、青山学院大学経済学部を卒業し、同年 碌々産業株式会社に入社。企画や営業を経験。以後2003 年には 取締役に就任し、2009年に常務取締役、2010年取締役副社長を経て、2011年に代表取締役に就任し、現在に至る。「経営者は好奇心を持つことが大切。特に若い人のSNSは発想が面白い」と語り、日々さまざまな情報から仕事のヒントを得るのが日課になっている。

[編集]株式会社ボルテックス100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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