『時』に愛されたワインたち~②化石時代の土壌が優れたワインを生み出す
目次
著者
樹林ゆう子(亜樹 直)氏
実弟の樹林伸とユニットを組み、ペンネーム亜樹直(あぎ・ただし)として漫画原作を執筆。2004年から2020年まで、講談社モーニング誌上において、ワイン漫画『神の雫』を連載。独特なワイン表現で海外にも人気を博し、全世界で1200万部超をセールスした。09年、グルマン世界料理本大賞の最高位『Hall of Fame』に日本人として初受賞。 2023年より、山下智久氏の主演による仏英日の多言語ドラマシリーズ「Drops of God/神の雫」が世界各国で配信の予定。日本ではHuluにて独占配信予定。
今回は、葡萄畑の「時の物語」について書きたいと思います。
フランスのワイン産地の土壌は、地質時代でいうと「中生代」にその原型が作られています。中生代はおよそ2億5千万年前~6千万年前までの期間で、古い順に三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と続きます。
ロマネ・コンティに代表される珠玉の赤ワインを生み出すブルゴーニュの「コート・ドール」地方は、1億5千年以上前、ジュラ中期に形作られた土壌といわれています。恐竜が闊歩していたあのジュラ紀です。
大昔は海底だったコート・ドールの大地は、有孔虫やウミユリ、珊瑚などの海洋生物の殻が堆積してできた「褐色石灰質土壌」と「牡蠣殻堆積泥灰岩土壌」がいりまじって形成されました。これら石灰質と粘土層が、アルプス造山運動によって隆起し、コート・ドールの礎となったのです。
石灰質は水はけが良く、繊細でミネラル分豊富な葡萄ができますが、栄養分が少なく力強さに欠けます。一方粘土質は養分が多く、ワインにボディを与えてくれます。この石灰質と粘土質の絶妙な割合が、コート・ドールで育つピノ・ノワールに比類なき優美さ、滋味、そしてしなやかな芯の強さを与えてくれるのです。
ブルゴーニュでのワイン作りが盛んになったのは中世で、畑を開拓したのはキリスト教の修道士たちです。彼等は土を「味見」して、特級ワインができる素晴らしい畑と、そうでない平凡な畑を見分けたといわれています。
ちなみに、コート・ドールでもっとも高品質なワインを生み出すヴォーヌ・ロマネ村の土壌は、石灰質と粘土質が理想的なバランスで混在しているそうです。この村が「神に愛される村」「ブルゴーニュの丘の中心に輝く宝石」と讃えられているゆえんです。
「牡蠣の化石がある畑」から生まれる高級シャブリ
ブルゴーニュ北部で生まれる「シャブリ」は、世界中で人気のある辛口白ワインです。牡蠣料理と相性がいいことでも、よく知られています。このシャブリ地方を私が初めて訪問したのは、15年前のことです。醸造家のアテンドで、もっとも格の高い特級畑から村名畑、さらに格下のプティ・シャブリといわれる畑まで、さまざまな畑を歩き回りました。
シャブリでは、牡蠣の貝殻が混じった「キンメリジャン土壌」が有名です。キンメリジャンは約1億5千万年前、ジュラ紀後期に形成され、石灰岩にエグゾジラ・ヴィルギュラと呼ばれる微小な牡蠣の化石を多く含んでいるのが特徴です。
そんなことを調べて訪問したので、私はシャブリはどの畑でも牡蠣殻が転がっているものと思っていました。しかし実際に牡蠣の化石が表土の部分にまで露出していたのは特級畑と、一級畑のごく一部だけだったのです。多くの畑は牡蠣殻が見て取れず、砂やシルトだけの畑でした(実は地層の深いところにキンメリジャンが存在するという説明でした)。面積の広いプティ・シャブリに至っては、すべての畑が砂とシルトだそうです。これはちょっと意外でした。
「1938年にシャブリの原産地呼称が定められた時は、確かにキンメリジャン土壌から生まれた白ワインだけがシャブリを名乗れたのです。でもその後、大規模な害虫被害と大戦の影響で、シャブリの畑が激減してしまった。それで、砂とシルトで形成されたチトニアン土壌で出来た白ワインもシャブリを名乗れるように変更されたのです」
この砂とシルトの土壌は、ジュラ紀最後の時代に形成されたもので、キンメリジャンより一世代、若い地層です。しかし、この土壌でもシャブリが作れるようになったので、シャブリの生産地域は10倍ほども拡大を遂げたそうです
「シャブリは牡蠣に合うといわれているので、すべての畑に牡蠣殻が混じっているものと思い込んでいました」と私がいうと、
「牡蠣に合うというのは、シャブリがキリッとした飲み口のワインだからでしょう。もしくはイメージの問題かもしれないですよね。一部の高い格付けの畑には、確かに牡蠣の化石がゴロゴロありますから」と、醸造家は笑っていました。
畑を回った後、特級から村名、プティ・シャブリまで、さまざまなシャブリを試飲しましたが、牡蠣の化石入りの土壌から生まれた特級シャブリは、海由来の深遠なミネラルと、長い余韻、生命のリズムのようなものを感じました。かたや砂やシルト混じりの土壌から生まれる村名シャブリは生き生きした酸味とシャープな切れ味で、これはこれで料理に合わせやすく美味しいですが……。例えば特級ワインが長編小説であるならば、村名ワインは短編集のようなイメージで、どちらも楽しめるのですが、飲んだ後の重量感、満足度がやはり違います。土壌の違いとはすごいものだと、飲んでみて実感しました。
ワインを支える土壌は、気の遠くなるような長い時間をかけて形成された、ある意味、絶対的な存在です。特級は特級の、一級は一級なりの畑の環境があり、それは恐らく中世からずっと変わっていない。1935年、フランスでワイン法が制定され、原産地呼称統制によってブルゴーニュの畑の格付けが確立して以降も、畑の格付けは、ほぼ変更されていません。このことも「ワインは土壌によってポテンシャルが左右される」とフランス人が考えていることの証と言えます。
2500万年前の「テラス4」から生まれるグレートワイン
ボルドーにおいても、畑による格付けは不動のものといっていいでしょう。1855年に開催されたパリ万博では、輸出商品としてのワインの価値を明確にすべく、ボルドー・メドックのワイナリーの格付けが行われました。シャトー・ラフィットを筆頭として4つの一級シャトーが誕生したのもこの時です。この格付けは73年のシャトー・ムートンの一級格上げを唯一の例外として、160年以上経った今でも、変更されていません。
こんな出来事がありました。
2019年、私はメドック地方のマルゴー村にある二級シャトー、「シャトー・ローザン・セグラ」を訪問しました。
ローザン・セグラは、94年にシャネルのオーナーが買収して大改革を行ってから品質が急速に向上し、二級の格付けにふさわしい高いポテンシャルのワインを作り続けています。
訪問の折、シャトーを案内してくれた広報担当のSさんが、面白い資料を見せてくれました。ローザン・セグラでは長い時間をかけて、すべての畑の地質調査を行ったそうなのですが、その結果を可視化して、畑ごとに色分けしたものでした。
ちなみに、メドックの土壌には「テラス」と呼ばれる分類があります。テラスとは層になった土地を意味する言葉で、いつの時代に形成されたかをテラス1から6までの段階で表しています。
テラス1がもっとも古い土壌(氷河期前の時代)ですが、メドックでもっとも上質なワインが生まれるのは「テラス4」といわれる2500万年前の土壌なのだそうです。これはアルプス・ヒマラヤ造山運動が始まった時代、ボルドー地方を走る大河ガロンヌ川にむけて、ピレネー山脈の小石がたくさん流れ込んできて出来たテラスとのことで、実際に歩いてみると、確かに白っぽい小石がごろごろ畑にあるのがわかります。
「一級の筆頭シャトー、ラフィットの畑は、かなりの部分がこのテラス4で形成されているんですよ。ところが調査の結果、ローザン・セグラのメインの畑も、テラス4だとわかったんです」
メドック最上級ともいうべきテラス4の土壌は、ローザン・セグラに長い熟成に耐える力強い骨格と、絹のような高貴な優美さを与えてくれる。だからウチのシャトーのワインは一級に近いと評価されているのだ、とSさんは熱く語ってくれました。
試飲してみると、さすがの味わい。マルゴー村らしい花束のような香りと、濃密な果実味、複雑で長い余韻、そして長期熟成に耐えるであろうしっかりした酒質──グレート・ボルドーの要素をほぼ備えているといっていいワインでした。
しかし、ふと考えました。時間を2500万年前に巻き戻すことができない今、ワインの世界では恵まれた場所でしかいいものをつくれないのでしょうか。それでは戦うだけムダで、持たざるものは負けであり、勝負は最初から決まっているのではないか……。Sさんにそんな話をしてみると、彼女はこう答えました。
「それは違います。ローザン・セグラも数十年前、醸造家に恵まれず、低迷していた時期があるんです。どれほど恵まれた条件の畑であっても、その畑を理解して表現できる醸造家がいなければ、いいワインはできないですからね」
世界的な地質学者、クロード・ブルギニョン氏がこんな名言を残しています。
「テロワール(畑)は楽譜であり、葡萄樹は楽器であり、醸造家は演奏家である。醸造家の仕事はテロワールを自分なりに解釈して、表現することだ」
長い長い時間を経て形作られた葡萄畑は、揺るぎない価値をもっています。しかしそれがすべてではない。その畑で感動的なワインを作り出すのは、今を生きる人間なのです。長い歴史を持ち、揺るがぬ企業資産を持つ100年企業にとっても、今を生きる人間が真摯に仕事をしてこそ、その価値を活かすことができるのでしょう。