茂木健一郎“IKIGAI”が世界でヒット
「生きがい」と「なごみ」は企業の永続性につながる

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茂木健一郎氏が英語で執筆した著書『IKIGAI(生きがい)』が世界35カ国で翻訳され、ドイツではベストセラーになっています。細部にまでこだわり抜く職人的な精神や、個人の欲求を超えて次世代に価値や文化を継承しようとする姿勢など、日本人が生来的に持っている価値観が、今なぜ世界の注目を集めているのでしょうか。
「生きがい」という視点から見えてくるこれからの働き方と企業が目指すべき方向性について、茂木氏に語っていただきました。

優れた商品は「生きがい」を出発点にしている

「生きがい」というキーワードが今、世界で受け入れられつつあります。その背景には「グローバル化」と「AI(人工知能)」という2つの要素があると考えています。

グローバル化は、単に市場が拡大した、競争に国境の壁がなくなったということだけではありません。一人ひとりの働き手にとっても、自分の能力がグローバルにどの程度通用するのかが問われる時代になったのです。そしてAIの進化によって、人間がやるべき仕事は何かという、われわれの存在意義に関わる問題も立ち現れました。

『IKIGAI(生きがい)』がベストセラーになっているドイツは、働き手に対する合理性や効率性の追求が特に厳しい国の一つです。ホワイトカラーの生産性は高いけれども、その分だれもが過酷な競争にさらされ、バーンアウトする方も少なくないといいます。そこで、合理性や効率性、他者の評価といった指標から距離を置いた、「生きがい」という日本人特有の観点が彼らの心に響いたのだと思います。

生きがいの本家本元であるはずの日本も、例外ではありません。子どもたちは学校の成績や偏差値、働く人はKPI(重要業績評価指標)など、外部的な評価にがんじがらめになっています。生きがいとは本来、外部の評価とは関係なく、自身の内から湧き起こる喜びです。実は、多くの人の心をつかんでいる日本の商品やサービスは、ほとんど生きがいを出発点として生まれたものばかりです。

その代表例が宮崎駿さんのアニメ作品です。私はNHKの番組で取材をしたことがありますが、彼の生きがいは作品をつくることそのものであって、それがどれだけ売れるかとか、賞を受賞できるかといったことはまったく考えていません。宮崎さんは描くことそのものに喜びを感じている。それは、子どもが我を忘れて好きなことに夢中になっている姿と同じに見えました。宮崎アニメが子どもたちの心をつかんで離さない理由はそこにあります。

科学の世界も同様です。ノーベル賞級の研究の多くは、もともと研究者自身の生きがいから出発しています。企業が生み出す価値も、研究がたどり着く成果も、外部からの評価を超えた生きがいの追求が原点にある。だからこそ、結果的に卓越したクオリティが実現するのです。

AI時代の人間の役割とは

今、AIの進化はシンギュラリティー(人間の知能を大幅に凌駕する時点)に向かってすさまじい勢いで加速しています。おそらくここ1、2年の間に決定的な変化が起こることは間違いないでしょう。企業経営においても、これを無視することはできません。

その中で、世界的に議論されているのが「ヒューマン・イン・ザ・ループ」――AIの判断の中に人間の関与をどのように組み入れるのかという問題です。

効率化という面では、人間はAIにまったく歯が立ちません。例えば、われわれの研究でも、昔は論文を一つひとつ時間をかけて読んでいました。今は主要論文をいくつかピックアップしてAIに指示すれば、たちまち要約が出来上がります。10時間かけて読んで理解していたものが、わずか1分程度でその要旨を知ることができるのです。AIで効率化できるところは徹底的に効率化しないと、国際競争にはついていけません。

その代わり、効率化できないところ、人間でなくてはできないところに焦点を当てるのです。例えば、関係者とコミュニケーションをとることや、潜在的なニーズを探ることなどです。「人間か、AIか」という問いではなく、AIに任せられるところはどんどんAIに任せ、人間は人間にしかできないことにシフトしていく。そのような考え方、スタンスが不可欠だと思います。

AIの進化とは、つまるところは膨大なデータをいかに速く計算できるかということです。データ処理にお金をかければかけるほど計算量が増し性能が上がる、一種の“課金ゲーム”の様相を呈しています。その膨大なデータの中から最大公約数的なものが抽出されてくる。これがAIの強みです。

逆に、公約数に当てはまらないものは、こぼれ落ちます。そこに人間ならではの役割が浮かび上がってきます。人間は一人ひとり個別の存在です。一卵性双生児であっても一人ひとりは異なる経験をしています。同じ部屋の中にいても、座っている場所によって見える風景は異なり、脳が得ている情報は違うからです。人間らしさとは、ある種の偏りを持った、その人その人の個別の経験のユニークさに由来しているといえます。

膨大なデータを処理するAI社会を、逆の側面から支えていくのが一人ひとりの個別性です。そこに付加価値を見出していくことに、これからの商機があるのではないでしょうか。

「なごみの道」が100年企業への道

個別性を重視し、その付加価値を高めるために、企業はどうすべきか。ピーター・ドラッカーは、企業の目的は顧客を創造することだといいました。顧客の創造とは、言い換えれば人間を理解することです。人間は個別的な存在で、その人しかしてこなかった経験や、その人にしかわからない思いを抱えています。そういうことにどこまで寄り添えるのかがカギになります。ビジネスとは、人々の深い欲求やニーズに寄り添うことだからです。

経営者にとっては社員に対しても同様です。社員の能力を引き出し、伸ばしていくためには、彼らの思いや経験を理解し、企業のパーパスと結びつけていくことが必要です。パーパスは、売り上げや株価といった指標とは異なり、北極星のように常に動かず、企業が進むべき方向を指し示すものです。パーパスを明確にし、それを社員と共有できれば、市場の変化に左右されない企業の持続的な発展につなげることができます。実は日本の老舗企業の多くは、そのような特長を持ち合わせてきました。

私はこれを「なごみの道」と言っています。実は日本人の創造性の源にあるのが「なごみ」です。なごみとは、異なる性質のものを調和させ、バランスよく整えることです。

あんぱん(和と洋)、カツカレー(仏、印、和)、抹茶アイス(和と洋)など、食の世界だけでも日本が生み出した独自の組み合わせは枚挙にいとまがありません。異質のものをうまく取り入れて調和を図ること、自分と他者を上手になごませることが日本文化の特長なのです。

企業においても、「三方よし」といわれるように、自社と顧客、さらに社会全体まで調和させることが持続的発展の礎でした。企業同士も競争するだけでは互いに疲弊し長続きしません。地方に行けば、商工会議所や商店会などの活動を通して「なごみの道」を体現しているケースが少なくありません。

持続可能な社会の実現は世界的な課題です。対立から協調へ、競争から共生へ、企業の姿勢が問われる中、「生きがい」と「なごみ」という日本ならではの精神文化に世界から関心が寄せられている。そのことを何よりもわれわれ日本人こそが見つめ直すべき時代になっているといえるでしょう。

お話を聞いた方

茂木 健一郎 氏(もぎ けんいちろう)

脳科学者

1962年東京生まれ。ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー、東京大学大学院客員教授および特任教授、通信制高等学校「屋久島おおぞら高校」校長、各種業界団体の理事や顧問など、多彩な領域で役職を務める。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現在に至る。
専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究、近年は「AIアラインメント」や「コレクティブインテリジェンス(集団的知性)」についての研究に注力中。英語で執筆した日本文化や精神性について論じた著書『IKIGAI』が世界で注目され、35カ国で各国語に翻訳され出版。日本では『生きがい―世界が驚く日本人の幸せの秘訣―』(新潮社)として2022年に発刊された。続く2冊目の英語の著書『The Way of Nagomi』も世界から注目される(邦訳『なごみの道―日本人はなぜ幸せなのか―』早川書房、2026年5月)。その他、多数の著作があり、作家としての評価も高い。

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