「どんな本を読むべきか」と問う人の深刻な問題
'稀代の読書家'が勧める「人生を変える読書術」
目次
※本記事は「東洋経済オンライン」に2023年12月7日に掲載された記事の転載です。
3万5000部を突破した『読書大全』の著者・堀内勉氏が、このたび『人生を変える読書』を上梓した。
稀代の読書家である氏が、ビジネスパーソンに対して「読書の価値」や「好きから始める読書術」について解説する。
私が当惑する「ある質問」
「どんな本を読めばよいですか?」
講演会やセミナーなどで、ビジネスパーソンや学生など、さまざまな方とお会いするたびに、必ずこのような質問をいただきます。
そのように聞かれる私はじつはかなり当惑している、というのが正直なところです。もちろん、お尋ねの意図が明確な場合には、できるだけその質問の意図に沿った形でお答えするようにしてはいますが……。
たとえば「ファイナンスの教科書で何かよいものはありませんか?」と聞かれれば、その方がファイナンスを勉強する目的や、現時点でのファイナンスの知識などを考慮したアドバイスを差し上げることはできます。
ファイナンスの初心者ならまずはこの基本書を、ある程度の実務経験を積んだ上級者ならこの実務書を、という具合にです。
もし、みなさんが何か具体的な目的にかなう本を求めているのであれば、各分野に定番といわれる本がありますから、それぞれの分野にくわしい人に聞いたり、書評などを参考にしたりすればよいでしょう。
ただ、もっと一般的な質問として、「どんなものを読めばよいですか?」と聞かれてしまうと、簡潔に答えるのは難しくなります。
なぜなら、その方がどのような人で、これまでどのような人生を歩んでこられたのか、その中でどのような考えや価値観を身につけて、いまはどのような気持ちで生きていて、何を求めていらっしゃるのかをまったく存じ上げないからです。
非常に突き放した言い方をしてしまえば、「本当にそれが聞きたいのであれば、自分自身の胸に手を当てて聞いてみてください」としか答えられないのです。もちろん、それでは何も答えたことにはなりませんが……。
さはさりながら、「どのような本を読めばよいですか?」と聞かれる機会があまりに多いので、なぜそのような質問が多いのだろうかと、自分なりにその理由を考えてみました。
「どのような本を読めばよいかは、どう考えても自分にしかわからないことのはずなのに、どうしてほかの人にそれを聞こうとするのだろうか?」と。
その結果、むしろそうした問いの多さこそが、いまの時代がはらむ深刻な問題を浮き彫りにしているのではないかと思うようになりました。つまり、
「自分が何をしたいのかがわからない」
「自分が何をするべきなのかを、誰かに教えてもらいたい」
「自分が何を好きなのかがわからない」
「自分が何を好きであるべきなのかを、誰かに教えてもらいたい」
という姿勢が、世の中に広く蔓延していることの表れなのではないかと思い至ったのです。
「本を読まないのはあまりにもったいない」
こうした問いに対する答えの一つとして、このたび『人生を変える読書』を上梓しました。
本書は、2021年4月に出版した『読書大全』の前書きの部分、すなわち、私の読書体験をベースに読書の持っている本当の意味を、さらにわかりやすく、できるだけ多くの方々にお伝えするために書き起こしたものです。
ですから、本書は速読術とか多読法とか、本にまつわるテクニックについて書いたものではありません。そうした読書に関する方法論についてはさまざまな関連本が出ていますので、そちらを参考にしていただければと思います。
本書を通して私が言いたかったことは、「本を読まない人生というのはあまりにももったいない」ということです。
私の知人にも本を読まないという人はいますが、積極的な理由で本を読まないという人はいないようです。本以外のことに時間を費やしたほうが楽しいという人もいる一方で、学校の勉強を通して本が嫌いになったという人もいます。
実は私も「順位をつけるため」の勉強が嫌いで、そういうものに対しては子供の頃からすごく反発心がありました。「学ぶ」ということはこんなに楽しいのに、「勉強」というのはなぜこんなにつまらないのだろうかと。
ですから、例えば私は大学受験の社会の選択科目として日本史を取っていたのですが、当時の大学入試には明治維新以降の日本の近代史は出ないのがわかっていながら、好きな近代史ばかり勉強していました。
つまらない受験勉強の息抜きに、日本の近代史を勉強していたという感じでしょうか。学問という観点からは、何かとてもおかしな話ではありますが。
いずれにしても、そのような経緯で、私自身は勉強は好きではなかったのですが、読書は嫌いにはなりませんでした。
それではなぜ、「本を読まないともったいない」のでしょうか。
最近は売らんがために書かれた、本当に本人が書いているのかどうかも怪しい本がたくさん出ていますが、もし一度でも真剣に本を書いたことがある方なら、そこに費やされている膨大なエネルギーと時間について理解していただけると思います。
本ほど安価で価値の高いものはない
本1冊の文字数は大体10万字から15万字位です。それを半年から1年位かけて執筆します。『読書大全』の場合は40万字以上ありますので、新型コロナ禍の中で軽井沢の自宅にこもって10カ月かけて書き上げました。
学術論文などもそうですが、これが自分の名前で世に出て人目に触れるとなると、非常に精神エネルギーを消耗します。参考文献の引用などもきちんとやらないといけないので、かなり体力勝負の面もあります。
膨大な時間とエネルギーをかけて、自分の知識と体験を他人に理解できるようにきちんとまとめ上げたものが本なのです。
それが1冊1000円から2000円程度で手に入るというのですから、ある意味でそれは奇跡とでも呼べるようなことです。
1冊の本で自分が伝えたかったことを、物理的な会話の中で誰かに、しかも何千、何万という人に伝えようと思ったら、それこそ計り知れないほどの手間がかかると思います。
逆もまた然りです。自分から著者の話を聞きたいといくら願ったところで、それが実際にかなう可能性はほとんどないでしょう。
しかも、それが言語が違う異国の著者であれば、通訳を入れなければ会話が成立しないばかりか、面談をセットすることもままならないでしょう。
本を通してであれば、これが容易にかなうだけでなく、すでにこの世にはいない著者との会話も可能なのです。
あたかもその著者が目の前で自分に語りかけてくれるかのように会話することができます。しかも、いつでも好きな時に。
「歴史は繰り返さないが韻を踏む」というのは、作家のマーク・トウェインの言葉だと言われています。歴史上まったく同じことは起こらないが、歴史には一定のパターンがあるということです。
これは個々の人間についても言えることで、私たち人間は、古来から同じような喜びや悲しみや幸せや悩みを抱えて生きてきました。
人類誕生以来、累計で1000億人を超える人間が生きてきたと推計されていますが、そうしたたくさんの人生が、過去数千年の本の歴史の中に凝縮されています。
そうした本を読んでみると、自分が今抱えている悩みと古代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスの悩みが少しも違わないこともわかってきます。だからこそ、本を読む意味があるのです。
私たちには、その生き方が参考になる素晴らしい人生の先達がたくさんいるのです。
本は「どこでもドア」のようなもの
ただ、問題なのはあまりにも世の中に出回っている本が多過ぎて、いったいどれを読んだらいいかがわからないということです。
今、日本だけでもおおよそ年間7万冊の本が出版されているそうです。1日3冊読んだとしても年間で1000冊しか読めない訳ですから、その数の多さに圧倒されてしまいます。
でも、ここで自然淘汰の力が働いて、ほとんどの本は1年で絶版になってしまいます。
まして10年、100年ともなると、もうほとんどの本が国会図書館などのアーカイブの中に埋もれてしまいます。その中で、古代ギリシアや中国の古典のように、二千数百年の時を経てなお生き残っている本もあります。
このようにして時代の波を乗り越えて生き残ってきたものに何の価値もないと想定するのは、かなり無理があるのではないでしょうか。だとすれば、そうした本を手に取ってみたらどうでしょうかということです。
そして、こうした人類の歴史に残る名著200冊を解説したブックガイドが『読書大全』なのです。
このように、本というのはドラえもんの「どこでもドア」のようなもので、いつでも好きな時に読者の側にいてくれる友人とも呼べるような存在なのです。本があれば、あなたは決して孤独になることはありません。
それにしても、私たち人類はなぜこれほどまでに膨大な数の書物を残してきたのでしょうか。そして今でも残し続けているのでしょうか。
「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」と言ったのは、古代ギリシアの哲学者で「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスです。
この知的好奇心が人類を地球の生態系の頂点に押し上げたのだと思います。そして、その理由のいかんにかかわらず、人間には元来、知的好奇心が備わっているというのは間違いなさそうです。
「人類の成功」は書物の賜物
こうした人類の成功は、文字の発明と密接につながっています。
文字の発明がどこまでさかのぼれるかはまだ決着がついていませんが、いずれにしても、文字を通して情報を共有することで、複雑で大きな社会を運営するための組織化が可能になり、科学を始めとする自然を克服するための知識と方法論を蓄え、共有することも可能になりました。
そして今、80億人という膨大な数の人間が狭い地球の上で他の生き物たちと共存する時代を迎えています。国連の推計では、これが今世紀末には100億人に達すると言われています。
こうした未曾有の時代を乗り切って22世紀を無事に迎えるために、私たち人類はいったい何をなすべきなのか、私たちはどこに向かうのか、そうしたことを考えることができるのも、文字や本があればこそなのです。
少々話が大きくなりすぎてしまいましたが、最後に読書術的なことをひとつだけ言えば、「好きな本を手に取る」ところから始めてみてくださいということです。
アリストテレスが言うように、人間として生まれてきた私たちには、生来、知的好奇心が備わっています。
残念ながら、その好奇心の芽を社会や学校や親が、つまらない「勉強」の押し付けによって摘み取ってきた面があるのです。
「好きこそ物の上手なれ」と言いますが、他人の尺度で本を選ぶのではなく、まず原点に立ち返って、自らの好奇心の導きに従って読書を始めてみてくださいというのが、『人生を変える読書』を通じて一貫して私が訴えていることなのです。
関連コラム
著者
堀内 勉
一般社団法人100年企業戦略研究所 所長/多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長
多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長。東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。
現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。
主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
▶コラム記事はこちら
※本記事は「東洋経済オンライン」に2023年12月7日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら